2011年1月30日日曜日

Your better half

オペラ「魔笛」より。有名な二重唱。
これはとても現代的な演出(帽子・・・・w)



あなたのパパゲーノ、パパゲーナはどこにいますか?

隣にいますか?それともまだ巡り逢えてませんか?

いつかきっと、あなたの善き片翼と共に

二人の空を飛べますように。

2011年1月26日水曜日

纏めるということ

人の人生もかもだけど、大体10年単位でその時の纏めというか決算というか。

振り返ったり更に先の事を見据えたり、節目的なものを感じる。

今回の電子書籍の歌集は大体13年分の想いを凝縮した形になっているが

また仮に纏めのような歌集を出すとなるとまたしばらくかかるかもしれない。

5年、いや10年。

��その前に生きているのかだけど。悲観じゃなしに基本一寸先は闇だと思ってるので。)

また1日1日を全てとして重ねていくしかないのだけど



「10年後の歌のために、どう生きるか。」




形に残った歌と淘汰されていった想いに

そう問われているようでならない。

2011年1月25日火曜日

MY FUNNY VALENTINEを探して

マイナーから始まるので、何とも物悲しい曲調だが

れっきとしたラヴソングなのである。

自分にとってのベストオブMy Funny Valentineを探しているのだけども

なんだかしんみりと皆歌っているのでどうも心に響いてこない。

ヴォーカル主体で探してみてもチェット・ベイカー、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ボーン、etc・・・

困ったときの布施明もいいと思ったけど、なんでか山本譲二が一緒に映っているので却下。

そしてオーソドックスに落ち着いたのがフランク・シナトラ。



この曲のようになぞらえてヴァレンタイン・ディまでにいろいろ探してみよう。

訳詞と照らし合わせてみるのもおすすめ。

ありのままのあなたでいてね、と言われるのも嬉しいけど

想う幸せがやっぱり好きだ。

2011年1月24日月曜日

自己評価とプライドと

歌友とのチャット伝言(お互いオンタイムに遭遇することあまりないので、ほぼ伝言板化している)で

自己評価は低いのにプライドだけは高いという件に、腑に落ちるものがあって。

まさに昔の仕事の時の自分を思い出した。

自分の技量に自信が持てないくせに、それについての迷いとかを

第3者にさらけ出せないのだよね。とことん悩んで考えて自己分析をしているにも関わらず。

鷹揚に構えることで批判の対象になるのを避けているみたいな。

技量云々より、他者との距離の取り方、コミュニケーションが出来ていなかった。

これって仕事の交渉や駆け引きとはまったく別の話だ。

あれこれ割り振りできているつもりでも人の心の機微を理解できるのとは違うのだ。

狭い世界でこなせた方法論がまたよそで通用するかと言えば違うことのように。

なんかまんま中二病を思い出す。

でも中二だろうが、40だろうが50だろうが老人だろうが、気づけない人もいる。

気づいても動けない人は、指摘されても動けないだろうしやっぱり根本的に話しても無駄だ!と思ってしまう。

それを清掃初めてなのにとことん自分のやり方にこだわる清掃初心者のパートさんたちから教わったよ。


それよりむかーし、好きな人に

「それなりに苦労しているんだろうけど結局は苦労に甘んじてる」と世間知らずを指摘された。

言われた時は理解できなかったけど時を経てしみじみ理解できる。

お元気かしら。よく20以上も年も離れていた馬鹿な娘に言ってくれたものだ。



最初は傷ついたりむっとなるかもだけど、きつい事でもぐっさり刺されば

まさに的を得ているということ。

叱ってもらえないのが淋しい年になってきたのかなあ。

2011年1月23日日曜日

いのち与えし息を持つもの

数年ぶりのヨミガタリを観覧しに行ってきた。

普段呼吸やリズムを意識して歌を作っているけども、歌そのものの真の姿は

たぶん他者の目や呼吸(唄とか朗読とか、今回のヨミガタリもそう)を通してみないと

見えてこない。

晒されてなお肉体を持って言葉が立ち上るような、そういうものなのではないだろうか。

もちろんやわな芯の歌は脆弱な形も露わになるわけで、聞いていて冷や汗だってかく。

けれどそこからしか判らない何かを知りたいという気持ちがないと

いつまでも変わらないし、そこそこやってきたつもりだけどきっともっと

恥の経験値は足りないなあと思う。


そういう再確認の為に自作をヨミガタリしてもらったり、作詞みたいなことにも

興味が湧いたりしている。

生の息を吹き込み新しい命を与えてくれる人々に敬意を示しつつ

これからも自分の想いを見つめ続けていければと思う。

2011年1月21日金曜日

心に残るは河の歌

前出のムーンリバーや最上川舟唄といい、なんだか川の歌で好きな歌が多い。


同じスワニー川を歌ったものでもこちらはガーシュイン作曲。
ジュディ・ガーランド主演の「スター誕生」でも歌われていた。




河川の国アメリカなのだなあと思う。





川を進む蒸気船を歌ったProud Mary。ティナ・ターナーもさることながらバックコーラスのお姉さんたちの迫力も凄い。





そして10-FEET。

川から感じる、普遍的な、時間とか歴史とかの流れ。

その感慨。聴く人それぞれの人生の道程の分だけ川もある。

2011年1月20日木曜日

主宰へ

非常に感覚的であるが、その作者の思いを切り取り形作る刃筋が見える歌に惹かれる。

繊細にただ繊細に、テーマや本質を彫りあげていくようなタッチの歌。

身近でいえば戸水氏とか。(過去に主宰から「君は鉈だね」と言われたことがある私)

本誌だったらどうだろう?

増田幸三さんは端正な鎌倉彫を髣髴させるし、波那さんは柔らかい石のレリーフとか。


一般的に語られるその人の「個性」とは、語られやすいように表記されたラベル

言わば原材料名を連ねたものでしかない。「まぐろ油漬け」=「シーチキン」という

認識は缶詰だからこそ成り立つけれども、安易に人に対する括りになってはいないだろうか。



意識しないと「観る目」って幅が狭くなるので、時々こういう抽象的な喩をしてみたりする。

どこの集まりにも属せず、単に自分の好きな世界に浸りたいならここまで意識はしないのだけど

少なくとも歌会に来てくださるメンバーの歌の在り様は理解したいので、発会以来もう癖になっている。

ぱぱっと気の利いたコメントが言えるわけでもないので、

人に対するのと同じで真摯に見つめ続けるだけなのだけど。

2011年1月19日水曜日

想いメモ始

下書きは基本しない私。

しかし最近は悶々とムラムラとモノオモイモードなので(妄想じゃないぜ)

記憶から淘汰されぬようメモ帳にぽつぽつと記録している。




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自分は何に対して心を動かすのか、

そしてそれによって突き動かされたものをどのように形にして表すのか

��もしくは表せるのか。つまり出来うることとしたいことの差を判っているという前提で)。

個人作業でもそうだけど、他者と作り上げる作業を伴う場合、

上のような事を言葉で形で説明出来るかどうかな気がする。

そしてジャンルの差異や技能の差とかはあまり重要ではなく、

なんだろう、歩調は合わずとも同じ方向を見つめているかなのかと思う。

あと受け身では駄目だ。

「感化されたい」とか「刺激を受けたい」とか「引き上げてもらいたい」

力不足と分かっても、せめぎ合う姿勢(ああー闘争的な意味ではなく)があって

対等にお互いを尊重できるというか。

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背負っているトラウマとか負の部分は確かに表現することへのとっかかりにはなるだろうけど

かといってその事を「さらなる高い次元でのパフォーマンスに繋がるか」と言えば

別な気がする。というか別にしないといつまでたっても同じだ。

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コンプレックスを言い訳にするのは、吐き出すことすらしていないからだ。

第1段階が出来て、まずはそれからなのに。

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2011年1月18日火曜日

こころ解くうた

湯気の立つあたたかいシチューのような歌。

読む者の滋養になり救いを与えるような。

固い冷えたパンをいつまでもいつまでも噛むような自分の歌を思いつつ

そんなことをじっと考えた。



読んでいいなと思ったり、大いに共感したり、目を見張ったりそういう歌は多々あるけど

かつてこの一首を目にした途端号泣した歌というのが存在する。

なのにその内容を覚えていないというのが情けないが・・・その時の感情が一気にあふれ出て

とても自分自身が救われたのを覚えている。2000~2001くらいなのかな?

そこらへんもあやふやwというか、そのあたり数年というのは様々なことがありすぎて

記憶がぽかんと抜けているのだ。


何のことはない川の流れと時の変移をさらりと歌われたものだった。

さらり感にも関わらず、その作者の歩んできた道のりの厚みというか滋味が

じんわり心に迫ってきたのだった(思い出してもちょっと泣ける)。

いつか終わるんだ。

いつかどうにかなるんだ。

生きていてもいいのよね?

そんな事を泣きながら思った。



誰かにとってのこころ解く一首を残せればきっといい。

2011年1月17日月曜日

カフェラテを味わうことと、淹れることとは違う。

技術は後からついてくる。

でもそれは表現したい対象や自分と格闘して向き合って終わらない会話を続けられる、しがみついてやると

覚悟した人にしかついてこない。

表現の場は自分の足で立つものだ。手順を教えてという類のものではない。

だから「やってればわかるようになるよ」とさらっとしか言えない。

2011年1月16日日曜日

自ら拓かずとも豊かな道

今日は歌会だった。

常連のHさんが珍しく早めにいらしていたので(大雪という予報で早めに出たのだという。見事快晴で予想は外れた)

ぽつぽつと世間話。

御年80を越えつつ電子辞書を駆使するHさんの語る時代ゆえの性差の話など興味深く聞いた。

言われた通りにお稽古事を習い、薦められるまま結婚、女性は損だと思っているけどなぜか

自分の周囲には同じ考えの人はおらず「変わり者」と思われていたでしょうねえ・・・と笑っておられた。

私からすれば当たり前でもその時代に生きてきた人にしては革新的かもだけれども

「私なんかは、小さい時から絵を描いたりとかそういう表現することは好きだったけれど

Hさんの小さい時、これやるの好き!というのはありましたか?」と聞いてみた。

遠縁に出版社の創立者がおられた関係で本はたくさんあって、とにかく自由に読めたという。

なので本を読んでいれば大人しい子供だって言われていたと。

あちこち塗りつぶされた(検閲で)そういう関係の本でも読む事を咎められることもなかったそうだ。


空想に遊び、物思える自由がHさんの老いても柔らかな思考と柔軟性、洞察力を育んだのだと感じた。

その証拠にHさんの歌に対するコメントは鋭くまず真意を外されたことはない。

レールの上を行くだけの人生としても、その各停の時間や道行を楽しめる心持ちをどれだけ持てるかというのは

本人次第なのだなと思った。


欠けていたもの、育めなかったもの、仕舞い込んでいたもの。

それぞれ違う形で背負っている。

何かを表現する「きっかけ」にはなるけれども、きっと私自身も

そういう負い目のような事をわざわざ文字の形にして吐露=表現という段階から

もっと進まなきゃと思う。


この後また別件で記事書くかも。

2011年1月14日金曜日

時の流れにも意味がある

イギリスの諺で

March winds and April showers bring forth May flowers.

というのがある。

3月の風と4月の雨は5月の花を連れてくる

変哲もなく思えるけども、これは北海道に春が来る光景と同じなのだ。

その時辛いかもしれないけれど季節は毎年同じ順序で巡ってくる。

同じ地にいる限り変わらずに。

それでも惑わされてしまうのが人間なのかもしれない。

3月といえど風は強く冷たい。

でもそれは雪を早く解かすため。

4月になっても寒い日は雨ばかり。

でもそれは冬に隠れた大地の汚れを落とすため。

そうして5月は花の季節となって咲き誇る。


まさかと思ったことで慌てて落ち込んでいるひとがいる。

どうかゆっくり落ち着いて、あなたの足元を見てほしい。

季節は一巡して過ぎ去っても、また必ず戻ってくる。

今まで以上に大きい輝きでもって。

あなたがあなたの愛するその地に立ち続けている限り

きっと時の流れは微笑みかける。あの旋律とともに。


March winds and April showers bring forth May flowers.

2011年1月13日木曜日

追い求め続けるもの

なんだかここではよく書かれていないホセ・カレーラス、しかし彼の歌うグラナダが一番好き。

決してオペラ歌手としては恵まれた体格ではなく(170cmとか)それでも

体中で歌う事で音楽に身を捧げているかのよう。

彼よりももっと声量もあって美声で楽そうに歌う歌手はいる。

しかしそれらを超えて迫りくるものを彼は伝え続けてきて、それが凄いなと思う。


これは白血病になる前のたぶんかなり脂ののった頃のもの。



そして病から奇跡のカムバックを果たしてのちのもの。


2010年、60代半ば過ぎではないだろうか。

老いで薄れてしまった部分もあるけれど、その分を補って余りある姿勢は変わらないんだなあと思う。

ここまでの熱情を持って走り続ける力が欲しい。

2011年1月10日月曜日

No title

ラスト4部作です。ああーこれで思い残すことはないわぁ。
http://p.booklog.jp/book/18142

それぞれの表紙、中表紙のうさんくさいデザインwに案外手こずりました。

私が使っているペイントソフトはGIMPといってフリーウェアのソフトです。

使い方や機能はPhotoshopに近いので割合使いやすいですが、日本語書体でかわいいものがないので

フリーフォントなどプラグインに入れるのをお勧めします。


第1作目~渇~


最初はこれのみと考えていたので手近にある歌誌や諳んじられるほど印象深い(自分にとって)

歌のみを入れた。自分の記録~と軽い気持ちで公開してみたら、まったく五行歌というものを

知らない人のほうが多いはずなのに閲覧数がえらいことになって驚いた。

表紙、中表紙の素材はデジカメ持ってないので基本携帯カメラで撮影して加工している。

通勤途中の冬の木はプロフィール写真でも活躍。


第2作目~棲~


表紙と朝を踏むオブジェは実際うちの壁にかかっている物掛けw

おんなぐらしのミッフィーちゃんマグはローソンのシールを集めてもらったもの。

歌だけだったらこの第2作目が一番多い。

個人的にはリアルで身近な素材を描くことは地力がつきそうな気がする。


第3作目~景~


表紙がメタメタでしたw

そして桜と秋の歌を割愛。たぶん、桜が咲いた時の感慨って本州の方とのそれとは温度差がある気がする。

表すならばこんな感じ

「ああ~桜がやっと咲いたあ~。・゜・(ノД`)・゜・。でも毎年雨の時期と重なるんだよなあ・・・」

そう、せいぜい見ごろは1週間。花見だーと言いつつも花の散った後開催することも多々ありますw



第4作目~胞~

表紙はこれが一番好き。

意味もなくレイヤーを重ねた甲斐があってか満足です。ピーマンは撮影後野菜炒めになりました。

基本、五行歌は自分のために書いている。

この4作目はその最たるもので、とことん己を慰めまくっている。

思うのはこの世のどこにでも、そういう寂しさを抱えていることに罪悪感を持っているひとも必ずいる。

「いいじゃん、寂しんだもん。自分をきちんと甘えさせるのは自分しかいないんだよ」

そういう肯定を求めているひとが読んでくれれば良い。

乗り遅れていつ来るかわからないバスを待ちながら、

うわー赤裸々と思いながら読み進めてる内に心のどこかですっきり出来れば、

この歌を形にした意義ってあるよなあと思う。



ともあれ自分におつかれさん。

2011年1月9日日曜日

第3作目

なんとかかんとか出来ました。
http://p.booklog.jp/book/18053

吐露する激しさがあまりない(はず)ので大人しい感じの第3作目です。

五行だからこそ広げられるスケール感、といえどまだまだまだまだ(以下続く)

でも記録も兼ねているのでうーんと思案しつつ選んで載せた歌たちです。

でも北海道は無尽蔵な何かを秘めています。ひとつひとつを可能な限り書き留めてみたい。

2011年1月7日金曜日

これもまた叙景歌

なんとかPCは直ったっぽいです。

CPUのセーブ機能を入れられてしまったのでソフトによるけど3つくらい立ち上げると

しゅーんと電源が落ちるようになってしまったwちょっと残念。



叙景歌を書いたりする時、目に入った時のスケール感というか自分がその場で見た感覚が

誇張もなしに伝わるのがいいなと思いつつ形にしたりする。

ある意味書き応えのある土地に暮らしているのでその点ではよかったなあと。

もちろんその土地でしか味わえない空間もあるし、そういう歌を本誌で見るたびに

私の心も翼が生えてその地へ舞い降りている気分なのである。




真冬の最上川を思い浮かべる。

声の重なりもそうだけど、フレーズの繋ぎの「間」なのかなあ。

しみじみ聞き惚れてしまう。

2011年1月4日火曜日

ひとりごとっぽいけど思案してます

むーん。


自己表現欲と理想の高みが強烈に引っ張りあっているのだけど、それは第3者が見ると

ソフトフォーカスがかかっているように見えるかもしれない。でも本当はソフトじゃない。

媒体を選ぶ質なのかもしれない。

内省的ということを、複合芸術での表現へ繋げるとすると限界はたぶんあるのかな。

少しやりよいようになったな・・・・と思った瞬間、壁を作ったり。



一方、纏まりがないように見えて、内面すごく纏まってるものを持っているひともいる。

上下激しそうで、いざとなったら停止する。止まんのかい!と思ったら、納得した時がーっとまた動いたり。

個人的にはこちらの方が伸びしろがすごくある気がする。

そして上記のような衝撃も吸収するタフさもきっとある。


人生上で起こった事をどう受け止めて来たかで、ものの感じ方や感じた事を伝えるやり方は

違ってはくる。方法論の違いなだけであって優劣では決してない。

ただ、周囲が常に丸く収めてくれる環境にいて、「恵まれてたんだ」と取るか

「甘えてたんだ」と取るかで濃度は違ってくるのかなとも。


やっと大幅なあれこれにかたがついて、純粋に好きな事に賭けれる時間が出来た。

結局恵まれてるのかもしれない、自分は。

だからこそその恵みを一滴残らず生涯賭けて吸い取れればと思う。

2011年1月2日日曜日

No title

知人の所へ修理の為に送ったパソコンですが、その知人から携帯に電話。

「起動出来たでー」(送られて来た写メールには起動画面が写っていた)

「ええええーーー」

ともあれ色々原因を検証しつつテストはしておくとの事。

なんであったのだろうか原因は?

データは無事なようなのでなんか安心して新年を迎えられた気分(ようやく)。

2011年1月1日土曜日

抱負のようなもの

普段PCが壊れてブルーな気分のまま、昨日はふて寝し12時間近く睡眠を取って何気に元気です。

ブログを始めてからネットワーク関連の繋がりが広がって来たような・・・しかし

今回のような事があると不便と言えば不便なので、さらに来年はWin&Macの2台使い、共有で行こうかと。

プリンターも欲しいなあ・・・・。

どうやら社保がとれない状況になったので、(正社員じゃないから超過勤務といってもだめらしい)

来年から国保になる予感・・・。それでも一度でいいのでJazzライブは行きたいものだ。

私自身が求めていないからかもしれないけど、生活レベルが10年前とそんなに変わらないのが不思議だ。

債務がない分楽だけども。それでも年々キツキツになっているのは否めない。景気のせいにしたってだ。

それでも出来うる範囲で自分の世界を広げられれば良いなと思う。

さて、今年最後の大好きな街歩きに行って来よう。

こちらを覗きに来てくださる方々も、善き年末&新年を。