本誌の作品評が実は一番好きな頁。
どの歌を選んで評するのかというより、この選者の読み取り方や感じ方を考えたりする。
別の方向からの目線だとか自分とは違ったものの見方や理解力、そんなところを
逆に見てみたりする。
これは自分が作品評をやった時も同じ事で、自分の好きな歌というより
あえて自分では語りにくい、語りずらいものを意識して選んだりする。
もちろんいざ評をするときはかなりしんどいのだけど、基本自分の学びであるので
そこは格闘しつつ形にしていく。
結局は誰かがああせいこうせい言うものではないからこそ、
自分で律する必要があるという事で。
世代差、経験値の差があるような(戦時中の歌とか)作品でも、その根底にある
普遍的な思いに共感出来るなら十分な取っ掛かりになるであろうし、
むしろ作品や作者とは遠いスタンスの自分がそれを拾い上げる事が
それらを発表し表現した意味に厚みを持たせることに繋がるんではないかなとも
思うのである。
また逆に置き換えてみると、自作のどちらかといえば触れにくい内容の歌を
全く意外な選者が拾い上げていて、しかも的を得たりしてたときの
「それを採りますかww」みたいな予想外の愉快さ。
それもまた救いなのだと思う。
そう考えて本誌の作品と向き合うの面白いかもしれない。
へそ曲がったり手の内が見えずらい、痛いガラス片をちりばめたような拾いづらさの中に、
「評する」ということをもっと深く掘り下げるきっかけが潜んでいるだろうから。