ようやくというか、不定期刊の例のアレを出しました。
ここ最近忙しすぎるのでいよいよ大変な時が来る前に出しておこうと算段・・。
http://p.booklog.jp/book/43910
こちらからどうぞ!
2012年2月6日月曜日
2011年12月14日水曜日
脱ぐという必然
おのれを脱ぐ、という意識で書くことの背景はどんなものなのだろうと思う。
赤裸々な言葉を使うことだろうか、胸に潜む願望や欲をさらけ出すことだろうか。
それとも日常からの解放か。
言葉や展開そのものよりも、作者自身が、脱ぐ、ということについてどういう思いであるのか、
どんな変転を経てそう至ったのだろうか。
脱ぐ=官能と結びつけがちであるけれど、
自分でとっとと脱ぐか読み手に最後の一枚を剥ぎ取ってもらうかの違いは大きい。
この下着は貴方が脱がせてね、みたいな(私が書くとなんか途端に台無しw)
という意味では全てを脱ぎきってない前提で官能歌は成り立つ部分はあると思う。
やむにやまれぬものがあるほど言葉的や状況的にはリアルになる(というかノンフィクションに近くなる)
今までとは違った感覚をを目下感度磨き中ではあるけれど、
ここでさらけ出さなければ息が吸えない、とか
今吐き出さなければ死ぬしかない、とか
ああいう必然の呼吸がまたいつか、どーんと五行になって来るのだろうか。
生きている実感として絶頂の如く迫ってくるような。
赤裸々な言葉を使うことだろうか、胸に潜む願望や欲をさらけ出すことだろうか。
それとも日常からの解放か。
言葉や展開そのものよりも、作者自身が、脱ぐ、ということについてどういう思いであるのか、
どんな変転を経てそう至ったのだろうか。
脱ぐ=官能と結びつけがちであるけれど、
自分でとっとと脱ぐか読み手に最後の一枚を剥ぎ取ってもらうかの違いは大きい。
この下着は貴方が脱がせてね、みたいな(私が書くとなんか途端に台無しw)
という意味では全てを脱ぎきってない前提で官能歌は成り立つ部分はあると思う。
やむにやまれぬものがあるほど言葉的や状況的にはリアルになる(というかノンフィクションに近くなる)
今までとは違った感覚をを目下感度磨き中ではあるけれど、
ここでさらけ出さなければ息が吸えない、とか
今吐き出さなければ死ぬしかない、とか
ああいう必然の呼吸がまたいつか、どーんと五行になって来るのだろうか。
生きている実感として絶頂の如く迫ってくるような。
2011年11月20日日曜日
2011年8月29日月曜日
2011年8月17日水曜日
ちょうど本誌の締め切り間際に急遽特集を組むので16首プリーズ!という知らせが来てしまい
久々の大慌てでゼロから歌を作っていました。
ちょうどPMFが終わってしばらくの事だったので(安易に)題材に使ったはいいが
ライブの予定も立て込んでいて、jazzを聴きつつクラシックの感動を歌にするのかできるのかだいじょーぶか?
と、焦りつつ組み立てておりました。字を間違えて訂正メールを何度も送ったりとか(´д`)
てんやわんやですがなんとか纏めた・・・という感じです。
記録っぽくなったは否めないけど、でも、改めて思い起こせばあの時間は確かに自分の何かを
刺激してくれたような気がします。
出し惜しむな、悔いは残すな、と。

そのうちの一首がこれ。
PMFだけではない他のライブでの実感も含まれているけれど。
人が何かに誰かに拍手を送る時、それは敬意や称賛であったり感銘の気持であったりするけれど
ライブの音は生もので、その時のグルーヴ感と同じものが次回味わえると思ったらそれは違う。
だからこそ一期一会の瞬間に出会えたことに感謝する。
きっとここで立ち会えたのも必然で、その巡り合わせに。
上手い具合にここのところのライブ出歩き鑑賞の総括みたいな歌になった。
また良き音と感動の瞬間に巡り会えればと思う。
久々の大慌てでゼロから歌を作っていました。
ちょうどPMFが終わってしばらくの事だったので(安易に)題材に使ったはいいが
ライブの予定も立て込んでいて、jazzを聴きつつクラシックの感動を歌にするのかできるのかだいじょーぶか?
と、焦りつつ組み立てておりました。字を間違えて訂正メールを何度も送ったりとか(´д`)
てんやわんやですがなんとか纏めた・・・という感じです。
記録っぽくなったは否めないけど、でも、改めて思い起こせばあの時間は確かに自分の何かを
刺激してくれたような気がします。
出し惜しむな、悔いは残すな、と。
そのうちの一首がこれ。
PMFだけではない他のライブでの実感も含まれているけれど。
人が何かに誰かに拍手を送る時、それは敬意や称賛であったり感銘の気持であったりするけれど
ライブの音は生もので、その時のグルーヴ感と同じものが次回味わえると思ったらそれは違う。
だからこそ一期一会の瞬間に出会えたことに感謝する。
きっとここで立ち会えたのも必然で、その巡り合わせに。
上手い具合にここのところのライブ出歩き鑑賞の総括みたいな歌になった。
また良き音と感動の瞬間に巡り会えればと思う。
2011年7月17日日曜日
ドレミでSmile
2011年7月1日金曜日
解き放ち、生きてゆくという事
2011年6月26日日曜日
自分の歌の「芯」だと思っていたものは、借りもののイデオロギーではないのか?
という問いと自戒でもって足元を見つめる。
その時代でしか生まれないものもあるけれど、大概そういうものはいとも簡単に
人の中の情と、普段生産的ではない生業に没頭していた方々(音楽系、文系、理想が天よりも高い、
机上のエコや平和論が好きな人、大正時代における高等遊民のような方々)の
有事での我が身の無力感を刺激し「ちいさな声だけどあげることに意義があるはず(`・ω・´)」
という感情に付け込んでくる。(間違っちゃいないけれど明らかに最近は暴走しているよねぇ)
己しか出来ないことや持ち得ない感性や求心力、実直に日々を確かに暮らすことに目を背けて。
軸のぶれていく人を見続けるかなしさ。
これもまた淘汰なのかなと思えばそうなのだろうけれども。
畑というものは人間と同じで耕し続けなければ使い物にならなくなるのだという。
耕し、植えても食べてもらえる保証はないかもしれない土地で、それでも真摯に土と向き合う姿を思う時
やはり自分のしていることは小さいなと思う。それでも
恥じ入ることがその人たちを忘れぬ一鍬として何の足しにもならぬ歌を作り続けていくしかない。
これが流されずに外から気を掛け続け、遠回しに手助け出来うる最良で賢明な方法と信じて。
という問いと自戒でもって足元を見つめる。
その時代でしか生まれないものもあるけれど、大概そういうものはいとも簡単に
人の中の情と、普段生産的ではない生業に没頭していた方々(音楽系、文系、理想が天よりも高い、
机上のエコや平和論が好きな人、大正時代における高等遊民のような方々)の
有事での我が身の無力感を刺激し「ちいさな声だけどあげることに意義があるはず(`・ω・´)」
という感情に付け込んでくる。(間違っちゃいないけれど明らかに最近は暴走しているよねぇ)
己しか出来ないことや持ち得ない感性や求心力、実直に日々を確かに暮らすことに目を背けて。
軸のぶれていく人を見続けるかなしさ。
これもまた淘汰なのかなと思えばそうなのだろうけれども。
畑というものは人間と同じで耕し続けなければ使い物にならなくなるのだという。
耕し、植えても食べてもらえる保証はないかもしれない土地で、それでも真摯に土と向き合う姿を思う時
やはり自分のしていることは小さいなと思う。それでも
恥じ入ることがその人たちを忘れぬ一鍬として何の足しにもならぬ歌を作り続けていくしかない。
これが流されずに外から気を掛け続け、遠回しに手助け出来うる最良で賢明な方法と信じて。
2011年6月16日木曜日
日々の残り物を題材に
まったくの虚構を積み上げて歌を造型的に作り上げる方もいれば
身近な愛しいもの(子供や家族、育てている草木などなど)を大事にスケッチするように
描きとめていく方もいたり、歌の題材は人それぞれ。
等身大の営みと歌の在り様が近くあればいいといつも思っているので
やはりそれに直結した題材を象徴的によく使ったりする。
ざっと今までのを思い出せるだけ箇条書きにしてみると・・
洗濯物 ブラジャー 歯ブラシ 嘔吐 水垢
排水溝 乳房 トイレ 下着 トースト 湿布
サラミ 半裸 ビール 扇風機 カレー鍋 コンビニ袋
あんぱん ロト6 督促状 カップヌードル
偏平足 イカの腸
しかし生活感あふれるラインナップw
手が届く範囲で実感できるものを選んでいくと自然こうなった感じ。
理由は後付けじゃないけれど、「五行歌だから」と一行ごとの独立性にこだわって
最初のうちは「題材ありき」で考えすぎてしまうというのもある気がする。
きれいなものをきれいなまま写生するというのも素敵な方法ではあるけれど
絵や写真(はたまた短歌や俳句)では出来ないやり方で五行歌そのものの可能性を
もっと開拓したら楽しいのではと思ってもいる。
ちなみに今週土曜、こちらで歌会があるのだけど今回提出した自作の題材が
鼻毛
題材倒れになる可能性大ですが使えただけで満足しておりますw
瞬間瞬間に生まれがちな「こうあるべき」的なものをささやかに時にはがっつり切り崩す。
自作に関してはそういう意識はし続けたい。
別の側面から見た「一首独立」という意味はこういうことも含まれているのかなとも思ったりした。
��違ったらすいませんですが)
身近な愛しいもの(子供や家族、育てている草木などなど)を大事にスケッチするように
描きとめていく方もいたり、歌の題材は人それぞれ。
等身大の営みと歌の在り様が近くあればいいといつも思っているので
やはりそれに直結した題材を象徴的によく使ったりする。
ざっと今までのを思い出せるだけ箇条書きにしてみると・・
洗濯物 ブラジャー 歯ブラシ 嘔吐 水垢
排水溝 乳房 トイレ 下着 トースト 湿布
サラミ 半裸 ビール 扇風機 カレー鍋 コンビニ袋
あんぱん ロト6 督促状 カップヌードル
偏平足 イカの腸
しかし生活感あふれるラインナップw
手が届く範囲で実感できるものを選んでいくと自然こうなった感じ。
理由は後付けじゃないけれど、「五行歌だから」と一行ごとの独立性にこだわって
最初のうちは「題材ありき」で考えすぎてしまうというのもある気がする。
きれいなものをきれいなまま写生するというのも素敵な方法ではあるけれど
絵や写真(はたまた短歌や俳句)では出来ないやり方で五行歌そのものの可能性を
もっと開拓したら楽しいのではと思ってもいる。
ちなみに今週土曜、こちらで歌会があるのだけど今回提出した自作の題材が
鼻毛
題材倒れになる可能性大ですが使えただけで満足しておりますw
瞬間瞬間に生まれがちな「こうあるべき」的なものをささやかに時にはがっつり切り崩す。
自作に関してはそういう意識はし続けたい。
別の側面から見た「一首独立」という意味はこういうことも含まれているのかなとも思ったりした。
��違ったらすいませんですが)
2011年5月16日月曜日
縫い綴ることば
札幌駅から大通までを繋ぐ地下通路。札幌駅の入り口地点に、アイヌ文様を模ったタペストリーが
展示されている。アットゥシ(民族衣装)や工芸品、祭具に及ぶまで施されている文様は、思いを込めて
縫うことによって魔を祓う魔除けの意味合いを持つ。

携帯の写真なので精度が・・・。
今でいうところのチェーンステッチ、アップリケな手法で縫われている。ちょっとしたものでも
自分でもできるんじゃないかな、と思ったけれど、たしかこの見事な線対称な模様
下書きとか元絵とか一切なしで直接布地に針を入れていくと聞いたことがある・・・(汗
祖母から母、その母から子へと受け継がれていく技術なのだそうだ。
自然や神様をテーマに縫いこまれた「想い」の息づかいにつられて
数分ほどタペストリーを見つつ、箇条書きながら即詠したものを
一首だけ置いてみる。即詠なので推敲なしですいません・・。
この写真とは違うタペストリーを見て詠ったもの。

見えざるものに触発されてまた違う世界を垣間見れるから、こういう即詠は楽しい。
でもその逆に自分の歌で誰かのイマジネーションのきっかけになるということって
あるんだろうかとちょっとダークになるけれど(´・ω・`)
札幌市民の方、何かのついでに通りかかったらトートカムイのタペストリーを探してみてくださいませ。
これだけではない他の作品も見応えありますよ。
展示されている。アットゥシ(民族衣装)や工芸品、祭具に及ぶまで施されている文様は、思いを込めて
縫うことによって魔を祓う魔除けの意味合いを持つ。
携帯の写真なので精度が・・・。
今でいうところのチェーンステッチ、アップリケな手法で縫われている。ちょっとしたものでも
自分でもできるんじゃないかな、と思ったけれど、たしかこの見事な線対称な模様
下書きとか元絵とか一切なしで直接布地に針を入れていくと聞いたことがある・・・(汗
祖母から母、その母から子へと受け継がれていく技術なのだそうだ。
自然や神様をテーマに縫いこまれた「想い」の息づかいにつられて
数分ほどタペストリーを見つつ、箇条書きながら即詠したものを
一首だけ置いてみる。即詠なので推敲なしですいません・・。
この写真とは違うタペストリーを見て詠ったもの。
見えざるものに触発されてまた違う世界を垣間見れるから、こういう即詠は楽しい。
でもその逆に自分の歌で誰かのイマジネーションのきっかけになるということって
あるんだろうかとちょっとダークになるけれど(´・ω・`)
札幌市民の方、何かのついでに通りかかったらトートカムイのタペストリーを探してみてくださいませ。
これだけではない他の作品も見応えありますよ。
2011年4月17日日曜日
2011年3月20日日曜日
言葉は手
首都圏は軒並み歌会中止・・・というところが多いみたいで、何だか寂しいような。
現在の状況を含めそれぞれの事情もあるので致し方なしではあるけれど、むしろこういうものほど
途切れさせてはいけない(物理的な理由以外なら)気もする。
よって今日は普通に歌会。
五行歌と向き合う、ということは、日常を普段通りに過ごし丁寧に暮らす、ということだ。
買い物やレジャーでお金を落として経済を回すように、私たちはこの「平穏な日常」をゆっくりと私たちらしく
循環させることに意味がある。人の営みが歯車のように繋がっているならば
その歯車を重ねることで、被災された歌人さん達の「平穏な日常」をも回らせる事が出来るのではないか。
今回は少人数で久々に点が入らない人はいなかった。くすっと笑えるユーモアあふれる歌が多かった。
普段通りの歌会だった。そして久々の1席。代表でも容赦なく0点になる恐ろしい歌会なのでw
記念に?貼っておく。

形そのものじゃなくそこから感じる「感触」が読む人の心に触れるのではないか。
自分の心を救い奮い立たせるのは自分だけだけど、それに気づけない時もある。
突っついたり、撫でてみたり、時には抓り、ツボを押す。
言葉や文字はそれを気づかせるきっかけに過ぎない。救うとか癒すとか変えるとか思いあがりだ。
「立ち上がれ」と引っ張るのじゃなく
「自分の足で立てるんだよ、ほら」と両の足をぽんぽんと叩くような
手触りが伝わるのが私の思う「歌の力」だ。いつかそんな手になりたいと思う。
あなたはどんな手でありたいですか?
現在の状況を含めそれぞれの事情もあるので致し方なしではあるけれど、むしろこういうものほど
途切れさせてはいけない(物理的な理由以外なら)気もする。
よって今日は普通に歌会。
五行歌と向き合う、ということは、日常を普段通りに過ごし丁寧に暮らす、ということだ。
買い物やレジャーでお金を落として経済を回すように、私たちはこの「平穏な日常」をゆっくりと私たちらしく
循環させることに意味がある。人の営みが歯車のように繋がっているならば
その歯車を重ねることで、被災された歌人さん達の「平穏な日常」をも回らせる事が出来るのではないか。
今回は少人数で久々に点が入らない人はいなかった。くすっと笑えるユーモアあふれる歌が多かった。
普段通りの歌会だった。そして久々の1席。代表でも容赦なく0点になる恐ろしい歌会なのでw
記念に?貼っておく。
形そのものじゃなくそこから感じる「感触」が読む人の心に触れるのではないか。
自分の心を救い奮い立たせるのは自分だけだけど、それに気づけない時もある。
突っついたり、撫でてみたり、時には抓り、ツボを押す。
言葉や文字はそれを気づかせるきっかけに過ぎない。救うとか癒すとか変えるとか思いあがりだ。
「立ち上がれ」と引っ張るのじゃなく
「自分の足で立てるんだよ、ほら」と両の足をぽんぽんと叩くような
手触りが伝わるのが私の思う「歌の力」だ。いつかそんな手になりたいと思う。
あなたはどんな手でありたいですか?
2011年2月17日木曜日
ちからうた、おんなうた
指圧に甘手と苦手というのがある。
親指がほぼ90度に反り指の腹でやわらかタッチで指圧できるのが甘手という。
苦手はその逆でほとんど反らず指先でぐぐっと鋭く効きそうな圧をかけられるのだそうだ。
どちらがどうというより、指圧される側の好みによって需要があるという話。
手弱女(たおやめ)のやわらかな質感を感じさせたり、がちがちの骨格や筋肉を思わせたり
言葉もやはりそれぞれ。
どういうわけかどう頑張っても(いや、頑張るというものでもないだろw)
自分の歌は、ムキムキというかがっちりというか、例えるなら女子ソフトボール選手のような
それが味と言えばどうなのかとも思うけども、自分の中で欠けている柔らかさをどうやって
ものにしようかと何気に思っている身としてはなんともかんともだ。
言わば鏡のようなものなので、その部分が越えられない箇所なのかなあと思案したり。
何事も歌になる。
けれど歌になるからといって全てが救われるわけじゃない。
万能じゃないからこそおんなの肉体を持つ言葉をどこかで羨んでしまうのだろうし
それを振り切ってがしがしと書き続けられるのだろう。
ちなみに我が手は甘手。どの指もほぼ90度反る。
歌にはまったく反映されていないのだった。ちぇっ。
なんか僻みっぽい締めだな(笑)
親指がほぼ90度に反り指の腹でやわらかタッチで指圧できるのが甘手という。
苦手はその逆でほとんど反らず指先でぐぐっと鋭く効きそうな圧をかけられるのだそうだ。
どちらがどうというより、指圧される側の好みによって需要があるという話。
手弱女(たおやめ)のやわらかな質感を感じさせたり、がちがちの骨格や筋肉を思わせたり
言葉もやはりそれぞれ。
どういうわけかどう頑張っても(いや、頑張るというものでもないだろw)
自分の歌は、ムキムキというかがっちりというか、例えるなら女子ソフトボール選手のような
それが味と言えばどうなのかとも思うけども、自分の中で欠けている柔らかさをどうやって
ものにしようかと何気に思っている身としてはなんともかんともだ。
言わば鏡のようなものなので、その部分が越えられない箇所なのかなあと思案したり。
何事も歌になる。
けれど歌になるからといって全てが救われるわけじゃない。
万能じゃないからこそおんなの肉体を持つ言葉をどこかで羨んでしまうのだろうし
それを振り切ってがしがしと書き続けられるのだろう。
ちなみに我が手は甘手。どの指もほぼ90度反る。
歌にはまったく反映されていないのだった。ちぇっ。
なんか僻みっぽい締めだな(笑)
2011年1月26日水曜日
纏めるということ
人の人生もかもだけど、大体10年単位でその時の纏めというか決算というか。
振り返ったり更に先の事を見据えたり、節目的なものを感じる。
今回の電子書籍の歌集は大体13年分の想いを凝縮した形になっているが
また仮に纏めのような歌集を出すとなるとまたしばらくかかるかもしれない。
5年、いや10年。
��その前に生きているのかだけど。悲観じゃなしに基本一寸先は闇だと思ってるので。)
また1日1日を全てとして重ねていくしかないのだけど
「10年後の歌のために、どう生きるか。」
形に残った歌と淘汰されていった想いに
そう問われているようでならない。
振り返ったり更に先の事を見据えたり、節目的なものを感じる。
今回の電子書籍の歌集は大体13年分の想いを凝縮した形になっているが
また仮に纏めのような歌集を出すとなるとまたしばらくかかるかもしれない。
5年、いや10年。
��その前に生きているのかだけど。悲観じゃなしに基本一寸先は闇だと思ってるので。)
また1日1日を全てとして重ねていくしかないのだけど
「10年後の歌のために、どう生きるか。」
形に残った歌と淘汰されていった想いに
そう問われているようでならない。
2011年1月18日火曜日
こころ解くうた
湯気の立つあたたかいシチューのような歌。
読む者の滋養になり救いを与えるような。
固い冷えたパンをいつまでもいつまでも噛むような自分の歌を思いつつ
そんなことをじっと考えた。
読んでいいなと思ったり、大いに共感したり、目を見張ったりそういう歌は多々あるけど
かつてこの一首を目にした途端号泣した歌というのが存在する。
なのにその内容を覚えていないというのが情けないが・・・その時の感情が一気にあふれ出て
とても自分自身が救われたのを覚えている。2000~2001くらいなのかな?
そこらへんもあやふやwというか、そのあたり数年というのは様々なことがありすぎて
記憶がぽかんと抜けているのだ。
何のことはない川の流れと時の変移をさらりと歌われたものだった。
さらり感にも関わらず、その作者の歩んできた道のりの厚みというか滋味が
じんわり心に迫ってきたのだった(思い出してもちょっと泣ける)。
いつか終わるんだ。
いつかどうにかなるんだ。
生きていてもいいのよね?
そんな事を泣きながら思った。
誰かにとってのこころ解く一首を残せればきっといい。
読む者の滋養になり救いを与えるような。
固い冷えたパンをいつまでもいつまでも噛むような自分の歌を思いつつ
そんなことをじっと考えた。
読んでいいなと思ったり、大いに共感したり、目を見張ったりそういう歌は多々あるけど
かつてこの一首を目にした途端号泣した歌というのが存在する。
なのにその内容を覚えていないというのが情けないが・・・その時の感情が一気にあふれ出て
とても自分自身が救われたのを覚えている。2000~2001くらいなのかな?
そこらへんもあやふやwというか、そのあたり数年というのは様々なことがありすぎて
記憶がぽかんと抜けているのだ。
何のことはない川の流れと時の変移をさらりと歌われたものだった。
さらり感にも関わらず、その作者の歩んできた道のりの厚みというか滋味が
じんわり心に迫ってきたのだった(思い出してもちょっと泣ける)。
いつか終わるんだ。
いつかどうにかなるんだ。
生きていてもいいのよね?
そんな事を泣きながら思った。
誰かにとってのこころ解く一首を残せればきっといい。
2011年1月10日月曜日
No title
ラスト4部作です。ああーこれで思い残すことはないわぁ。
http://p.booklog.jp/book/18142
それぞれの表紙、中表紙のうさんくさいデザインwに案外手こずりました。
私が使っているペイントソフトはGIMPといってフリーウェアのソフトです。
使い方や機能はPhotoshopに近いので割合使いやすいですが、日本語書体でかわいいものがないので
フリーフォントなどプラグインに入れるのをお勧めします。
第1作目~渇~
最初はこれのみと考えていたので手近にある歌誌や諳んじられるほど印象深い(自分にとって)
歌のみを入れた。自分の記録~と軽い気持ちで公開してみたら、まったく五行歌というものを
知らない人のほうが多いはずなのに閲覧数がえらいことになって驚いた。
表紙、中表紙の素材はデジカメ持ってないので基本携帯カメラで撮影して加工している。
通勤途中の冬の木はプロフィール写真でも活躍。
第2作目~棲~
表紙と朝を踏むオブジェは実際うちの壁にかかっている物掛けw
おんなぐらしのミッフィーちゃんマグはローソンのシールを集めてもらったもの。
歌だけだったらこの第2作目が一番多い。
個人的にはリアルで身近な素材を描くことは地力がつきそうな気がする。
第3作目~景~
表紙がメタメタでしたw
そして桜と秋の歌を割愛。たぶん、桜が咲いた時の感慨って本州の方とのそれとは温度差がある気がする。
表すならばこんな感じ
「ああ~桜がやっと咲いたあ~。・゜・(ノД`)・゜・。でも毎年雨の時期と重なるんだよなあ・・・」
そう、せいぜい見ごろは1週間。花見だーと言いつつも花の散った後開催することも多々ありますw
第4作目~胞~
表紙はこれが一番好き。
意味もなくレイヤーを重ねた甲斐があってか満足です。ピーマンは撮影後野菜炒めになりました。
基本、五行歌は自分のために書いている。
この4作目はその最たるもので、とことん己を慰めまくっている。
思うのはこの世のどこにでも、そういう寂しさを抱えていることに罪悪感を持っているひとも必ずいる。
「いいじゃん、寂しんだもん。自分をきちんと甘えさせるのは自分しかいないんだよ」
そういう肯定を求めているひとが読んでくれれば良い。
乗り遅れていつ来るかわからないバスを待ちながら、
うわー赤裸々と思いながら読み進めてる内に心のどこかですっきり出来れば、
この歌を形にした意義ってあるよなあと思う。
ともあれ自分におつかれさん。
http://p.booklog.jp/book/18142
それぞれの表紙、中表紙のうさんくさいデザインwに案外手こずりました。
私が使っているペイントソフトはGIMPといってフリーウェアのソフトです。
使い方や機能はPhotoshopに近いので割合使いやすいですが、日本語書体でかわいいものがないので
フリーフォントなどプラグインに入れるのをお勧めします。
第1作目~渇~
最初はこれのみと考えていたので手近にある歌誌や諳んじられるほど印象深い(自分にとって)
歌のみを入れた。自分の記録~と軽い気持ちで公開してみたら、まったく五行歌というものを
知らない人のほうが多いはずなのに閲覧数がえらいことになって驚いた。
表紙、中表紙の素材はデジカメ持ってないので基本携帯カメラで撮影して加工している。
通勤途中の冬の木はプロフィール写真でも活躍。
第2作目~棲~
表紙と朝を踏むオブジェは実際うちの壁にかかっている物掛けw
おんなぐらしのミッフィーちゃんマグはローソンのシールを集めてもらったもの。
歌だけだったらこの第2作目が一番多い。
個人的にはリアルで身近な素材を描くことは地力がつきそうな気がする。
第3作目~景~
表紙がメタメタでしたw
そして桜と秋の歌を割愛。たぶん、桜が咲いた時の感慨って本州の方とのそれとは温度差がある気がする。
表すならばこんな感じ
「ああ~桜がやっと咲いたあ~。・゜・(ノД`)・゜・。でも毎年雨の時期と重なるんだよなあ・・・」
そう、せいぜい見ごろは1週間。花見だーと言いつつも花の散った後開催することも多々ありますw
第4作目~胞~
表紙はこれが一番好き。
意味もなくレイヤーを重ねた甲斐があってか満足です。ピーマンは撮影後野菜炒めになりました。
基本、五行歌は自分のために書いている。
この4作目はその最たるもので、とことん己を慰めまくっている。
思うのはこの世のどこにでも、そういう寂しさを抱えていることに罪悪感を持っているひとも必ずいる。
「いいじゃん、寂しんだもん。自分をきちんと甘えさせるのは自分しかいないんだよ」
そういう肯定を求めているひとが読んでくれれば良い。
乗り遅れていつ来るかわからないバスを待ちながら、
うわー赤裸々と思いながら読み進めてる内に心のどこかですっきり出来れば、
この歌を形にした意義ってあるよなあと思う。
ともあれ自分におつかれさん。
2010年12月31日金曜日
No title
普段使いのPCが起動しなくなったのでただいま知人の所へ宅配で修理に送った。
投稿歌や歌集やらなんやらのデータが入っているのだけどどうなることやら(ハードが無事でありますように)。
さて、こちらのブログで歌会での欠席歌の取り扱いについて書かれていた。
小さい歌会ではすべてを代表さんがこなさなくてはならない部分もあり、それでも事務方のご苦労は察して余りある。
好きでやっている事とはいえ次第に気持ちも身体も疲弊してくる気持ちはつくづくわかる。
様々な歌会での対応もあるけども参考になるかどうかだけど札幌ではこんな感じでやっている。
代表=本部からなどの連絡、郵便物窓口。歌会場所の予約。忘年会の場所決め(笑)
会計=主に会費の管理。本部会費の支払。
プリント作成=歌会でのプリント採点票制作。ちなみに北海道として年1の持ち回りで全道歌会分の
月々の歌会作品をプリントしている。(現在は旭川)その為のプリント送付。
会計やプリント作成係が休んだ場合、周囲のどなたかにフォローしていただく。
司会に関しては持ち回り。場所が大きめのカフェなので飲み物代はなどは会費から賄う。
北海道だと交通の便や距離的にも欠席歌、という状況になりやすいが欠席歌においては
提出時に送付してもらうかどうかの確認が出来れば送る。(郵送代節約のため)
歌会が発足して10数年経つがその間2人の歌友が逝去している。
他のようにうちの歌会でも年配の方は多い。一様にお元気でおられるけどもそれに甘える訳にもいかない。
今現在パソコンを使えてプリント作成してくれる方はいるが、もしもの時そのフォローが出来る人がどれだけいるか。
会計にしかり代表にしかりである。
無理にどうこうというのではなく、寧ろこういうのは常に歌会に参加している一人一人が
「もしも」を前提にちょっと考えてくだされば非常に助かるのだという話だと思うのである。
投稿歌や歌集やらなんやらのデータが入っているのだけどどうなることやら(ハードが無事でありますように)。
さて、こちらのブログで歌会での欠席歌の取り扱いについて書かれていた。
小さい歌会ではすべてを代表さんがこなさなくてはならない部分もあり、それでも事務方のご苦労は察して余りある。
好きでやっている事とはいえ次第に気持ちも身体も疲弊してくる気持ちはつくづくわかる。
様々な歌会での対応もあるけども参考になるかどうかだけど札幌ではこんな感じでやっている。
代表=本部からなどの連絡、郵便物窓口。歌会場所の予約。忘年会の場所決め(笑)
会計=主に会費の管理。本部会費の支払。
プリント作成=歌会でのプリント採点票制作。ちなみに北海道として年1の持ち回りで全道歌会分の
月々の歌会作品をプリントしている。(現在は旭川)その為のプリント送付。
会計やプリント作成係が休んだ場合、周囲のどなたかにフォローしていただく。
司会に関しては持ち回り。場所が大きめのカフェなので飲み物代はなどは会費から賄う。
北海道だと交通の便や距離的にも欠席歌、という状況になりやすいが欠席歌においては
提出時に送付してもらうかどうかの確認が出来れば送る。(郵送代節約のため)
歌会が発足して10数年経つがその間2人の歌友が逝去している。
他のようにうちの歌会でも年配の方は多い。一様にお元気でおられるけどもそれに甘える訳にもいかない。
今現在パソコンを使えてプリント作成してくれる方はいるが、もしもの時そのフォローが出来る人がどれだけいるか。
会計にしかり代表にしかりである。
無理にどうこうというのではなく、寧ろこういうのは常に歌会に参加している一人一人が
「もしも」を前提にちょっと考えてくだされば非常に助かるのだという話だと思うのである。
2010年12月28日火曜日
花鳥風月のずれ
久々にあれこれと書く余裕が出てきた。
歌を纏めている時は脳の神経一本一本が張り詰めた感じになっている。
眠いのに「寝るな!」と脳に起こされているような(危険なのか?)。
ものすごい真剣勝負な訳ではないのに不思議なのだけども。
叙景歌の数々も纏めていたのだけども、書いている季節にえらく偏りがあることに気づいた。
現在住んでいる北海道という土地柄のせいかとにかく冬の歌が多い。
寒さで意識がクリアーになるのか言葉も生まれやすいみたいだ。
そして意外にも次に多いのが春の歌。
しかも冬から春へと変わりゆく瞬間を描いたものが案外多い。
キリキリとした冷たい空気が、ふっとゆるむ。そのやわらかな感動は
北国ならではか毎年ほっとする時である。
俳句などで季語に親しい方ならわかっていただけるだろうがこちらの四季のサイクルは本州とは違う。
��月にはどう頑張っても梅は咲かないし、桜にいたっては5月初頭。(でも連翹は律儀に暦どおり咲いたりする。)
本来それぞれ違う月に咲く紫陽花、向日葵、コスモスも夏になったら一斉に咲くのである。
風土の違いゆえの面白さもあるから然程こだわらず書いてはいるけれども、もっとその部分を
描ければいいなとも思う。
次回の3作目は多分叙景歌を中心になるだろうけど、ネタばれっぽいけど
秋の歌が一個もありません(笑)
何でだろう、書いてはいるんだけども載せるには及ばないというか・・・秋ならではの情景の美しさはもちろん
理解してはいるし、着物も着るくらいだから和な美意識もまったくないはずではないんだけども。
どうしても無難にステレオタイプな秋のイメージに終始してしまう。紅葉の美しさとか。
それにこっちは夏終わったなあと思ったら冬来るの早いしw
特別な感慨が個人的にないのかもしれない。好きな季節なんだけどねえ。
歌を纏めている時は脳の神経一本一本が張り詰めた感じになっている。
眠いのに「寝るな!」と脳に起こされているような(危険なのか?)。
ものすごい真剣勝負な訳ではないのに不思議なのだけども。
叙景歌の数々も纏めていたのだけども、書いている季節にえらく偏りがあることに気づいた。
現在住んでいる北海道という土地柄のせいかとにかく冬の歌が多い。
寒さで意識がクリアーになるのか言葉も生まれやすいみたいだ。
そして意外にも次に多いのが春の歌。
しかも冬から春へと変わりゆく瞬間を描いたものが案外多い。
キリキリとした冷たい空気が、ふっとゆるむ。そのやわらかな感動は
北国ならではか毎年ほっとする時である。
俳句などで季語に親しい方ならわかっていただけるだろうがこちらの四季のサイクルは本州とは違う。
��月にはどう頑張っても梅は咲かないし、桜にいたっては5月初頭。(でも連翹は律儀に暦どおり咲いたりする。)
本来それぞれ違う月に咲く紫陽花、向日葵、コスモスも夏になったら一斉に咲くのである。
風土の違いゆえの面白さもあるから然程こだわらず書いてはいるけれども、もっとその部分を
描ければいいなとも思う。
次回の3作目は多分叙景歌を中心になるだろうけど、ネタばれっぽいけど
秋の歌が一個もありません(笑)
何でだろう、書いてはいるんだけども載せるには及ばないというか・・・秋ならではの情景の美しさはもちろん
理解してはいるし、着物も着るくらいだから和な美意識もまったくないはずではないんだけども。
どうしても無難にステレオタイプな秋のイメージに終始してしまう。紅葉の美しさとか。
それにこっちは夏終わったなあと思ったら冬来るの早いしw
特別な感慨が個人的にないのかもしれない。好きな季節なんだけどねえ。
2010年11月12日金曜日
ケーキは2個まで
たまに歌会とかでも、全ての行に決め手となるような凝った表現を入れて
フレーズの羅列のようになってしまい、「思い浮かんだ言葉を入れたら、選びきれなくなって・・・」
という事を伺うときがある。
歌じゃないけど、これすごく共感できるのだ。
例えば・・
ケーキ屋さんへ行って、ガラスの陳列棚の向こうには、美味しそうなケーキがいっぱい・・・
チーズケーキもガトーショコラもミルフィーユも、ああ!どうにも選びきれないわぁ~!
えーい箱に入れられるだけ買っちゃえー!!
みたいなw
ふと思いついた素敵な言葉って宝石のように輝いて見える。
で、案外そういう時ってたくさん浮かんだりする。
これを使えばどんな綺麗な歌になるだろううっとり、と思う前に
このケーキの例えを思い出す。
箱に入れられるだけ・・・ったって胸焼けしちゃうわねぇ。
ちょっとだからこそ甘いものって美味しいのよね。
ここは断腸の思いで(大袈裟)2個くらいに抑えとこうかしら?
言葉はケーキと違って腐らない。
だからとりあえずしまって、暫くしたら眺めてみて、それでも輝きは変わらなかったら
使ってみるのもいい。
ちょっと控えてこそ伝わる思いもある。
見えない部分は読み手の領分だ。書き手と読み手の相互があって歌は成り立つと思う。
フレーズの羅列のようになってしまい、「思い浮かんだ言葉を入れたら、選びきれなくなって・・・」
という事を伺うときがある。
歌じゃないけど、これすごく共感できるのだ。
例えば・・
ケーキ屋さんへ行って、ガラスの陳列棚の向こうには、美味しそうなケーキがいっぱい・・・
チーズケーキもガトーショコラもミルフィーユも、ああ!どうにも選びきれないわぁ~!
えーい箱に入れられるだけ買っちゃえー!!
みたいなw
ふと思いついた素敵な言葉って宝石のように輝いて見える。
で、案外そういう時ってたくさん浮かんだりする。
これを使えばどんな綺麗な歌になるだろううっとり、と思う前に
このケーキの例えを思い出す。
箱に入れられるだけ・・・ったって胸焼けしちゃうわねぇ。
ちょっとだからこそ甘いものって美味しいのよね。
ここは断腸の思いで(大袈裟)2個くらいに抑えとこうかしら?
言葉はケーキと違って腐らない。
だからとりあえずしまって、暫くしたら眺めてみて、それでも輝きは変わらなかったら
使ってみるのもいい。
ちょっと控えてこそ伝わる思いもある。
見えない部分は読み手の領分だ。書き手と読み手の相互があって歌は成り立つと思う。
2010年11月10日水曜日
思ったとおり
「か」の字もございません。どうだ!(誰に言ってる)
Good night serenade
短夜の 星の震える音を聴いてる
君は誰 誰だろう
君の囁きをなぞるたび
忘れていた強さ思い出し
自分らしい息の仕方取り戻し
僕は歌う また歌い始める
ふたりで仰ぎ見る
嵐の後の空
波打ち際に打ち上げられても
手はつながったまま
おやすみを言う前に
半音ずつ 指を下ろして
確かめ合う
離れていても奏でる想いはおなじ
セレナーデって元はドイツ語だったんだねえ。
雰囲気的に歌だったら2番がありそうですが割愛。
妄想であれ何であれ形にしては逃げ場はないですね。
これは感じ方それぞれだけどたとえ妄想がきっかけだとしても
「妄想なんです♪」という風にてへっと笑えない。
だって形にしない前段階が一番気持ちいいじゃないか。
形にした段階で「ふう・・・」みたいな醒めたような感覚がたまらなく寂しい。
そしてイタくもある。我ながら。
でも、そのイタさ寂しさこそが、モーレツに歌じゃないか?と発見した。
結構こういうほぐし方で己を解放しつつ再確認してたりするのだった。
Good night serenade
短夜の 星の震える音を聴いてる
君は誰 誰だろう
君の囁きをなぞるたび
忘れていた強さ思い出し
自分らしい息の仕方取り戻し
僕は歌う また歌い始める
ふたりで仰ぎ見る
嵐の後の空
波打ち際に打ち上げられても
手はつながったまま
おやすみを言う前に
半音ずつ 指を下ろして
確かめ合う
離れていても奏でる想いはおなじ
セレナーデって元はドイツ語だったんだねえ。
雰囲気的に歌だったら2番がありそうですが割愛。
妄想であれ何であれ形にしては逃げ場はないですね。
これは感じ方それぞれだけどたとえ妄想がきっかけだとしても
「妄想なんです♪」という風にてへっと笑えない。
だって形にしない前段階が一番気持ちいいじゃないか。
形にした段階で「ふう・・・」みたいな醒めたような感覚がたまらなく寂しい。
そしてイタくもある。我ながら。
でも、そのイタさ寂しさこそが、モーレツに歌じゃないか?と発見した。
結構こういうほぐし方で己を解放しつつ再確認してたりするのだった。
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