街から街へバスに乗っての演奏旅行、LIVEに挑む前の空気や胸の高鳴り
バックステージの生のわくわくが伝わってくる。
普段一人なのでどうとも思わないけれど、たまーに無性に安心感にとらわれてくる時がある。
根拠のない暖かい感覚。
そういう時はきっと何かの周波数が、上手い具合に私にチャンネルが合わさったのだと
前向き?に解釈している。
どこかの、誰かの、優しい呼吸が
「あ、なんか今つながったっぽい」と感じさせてくれる。
そんな日曜の夜。
2011年6月20日月曜日
2011年6月19日日曜日
産みの源
歌友のフランス旅行記をブログで拝読するにつけいいなあと思う最近(実はフランス好き)。
好きなシャンソン。この歌といえばシャルル・トレネが有名ですね。
ステージ捌きというか中尾ミエ他の世代を激しく思い出した。歌は上手いです。
女性名詞のLa Mer(海)はこれまたフランス語のMere(母)が語源とのこと。(綴りは違えど読みは同じ)
聖母マリアの「Maria」も元をたどれば海の滴を意味するヘブライ語から来ていて
そこから「Marina」(港)(水夫)という言葉も派生していった。
万物を生み育むという共通の深層意識というのがあるのだろうか。
でも言語学も多大な言葉数の比較データがものを言う部分があるらしいので(科学っぽいですね)
一概には言えないだろうけれども。日本語のいくつかの言葉の大元だって
歴史を重ねて違う意味に変換されていったり派生していったりしているのだし。
日本語の「海」と「産み」との関連性はあまり有力な説とは言われていないようです。
「う」は「大」の意味の転、「み」は「水」の意味で、
「大水(うみ・おほみ)」を語源 とする説が有力とされる。web語源由来辞典より
滋賀県の近江は淡水の海(今の琵琶湖ですね)、すなわち淡海(あわうみ)という言葉が縮まったものであるとされている。
それと上記のような意味合いも含まれているのだろうか。
それでも古事記の国産みの記述などはとても象徴的ではあるけれども。
何だかフランスからずいぶん飛躍してしまった。伊邪那岐の天沼矛(あめのぬぼこ)で
私の思考の海もぐるぐるとかき混ぜられている気分。
��よさげなものも浮かぶ一方へんてこな発想も生まれてくるあたりはまんま神話通りだったりする。)
好きなシャンソン。この歌といえばシャルル・トレネが有名ですね。
ステージ捌きというか中尾ミエ他の世代を激しく思い出した。歌は上手いです。
女性名詞のLa Mer(海)はこれまたフランス語のMere(母)が語源とのこと。(綴りは違えど読みは同じ)
聖母マリアの「Maria」も元をたどれば海の滴を意味するヘブライ語から来ていて
そこから「Marina」(港)(水夫)という言葉も派生していった。
万物を生み育むという共通の深層意識というのがあるのだろうか。
でも言語学も多大な言葉数の比較データがものを言う部分があるらしいので(科学っぽいですね)
一概には言えないだろうけれども。日本語のいくつかの言葉の大元だって
歴史を重ねて違う意味に変換されていったり派生していったりしているのだし。
日本語の「海」と「産み」との関連性はあまり有力な説とは言われていないようです。
「う」は「大」の意味の転、「み」は「水」の意味で、
「大水(うみ・おほみ)」を語源 とする説が有力とされる。web語源由来辞典より
滋賀県の近江は淡水の海(今の琵琶湖ですね)、すなわち淡海(あわうみ)という言葉が縮まったものであるとされている。
それと上記のような意味合いも含まれているのだろうか。
それでも古事記の国産みの記述などはとても象徴的ではあるけれども。
何だかフランスからずいぶん飛躍してしまった。伊邪那岐の天沼矛(あめのぬぼこ)で
私の思考の海もぐるぐるとかき混ぜられている気分。
��よさげなものも浮かぶ一方へんてこな発想も生まれてくるあたりはまんま神話通りだったりする。)
往く背を見送るという事
今日は歌会。体調が芳しくない方の休みもあっても、久々に顔を見せてくださった方も来て
それなりに楽しい歌会でした。が、病気療養に入るというメンバーの方からのお便りを見せていただき
つくづくこれからの歌会の事など憂ったりした。
��0代後半から80代までの方がいる。
歌会が出来てから14年経ち、その間2名のメンバーが逝去され
創立時からいる方も健康に不安を抱えたり、人生の切り替わり時期とされたのか
足が遠のいている方もいたりする。
代表になった時から漠然とは思っていたけれど、一番年若な自分がこれから幾人もの方々の背中を
見送ることが増えてくる可能性を思うと改めて寂しい。
歌会と過ごした日々は、ある意味人生の一番ハードでタフな時期と重なる分
目に見えない幾重にも重なられた「何か」が徐々に剥がされていくような感覚を覚えた
今回の出来事だった。
歌会あっての生きること!とはあまりにも大袈裟すぎるけれど、少なくとも当時は
歌会があったおかげで死なずに済んだのはほんとう。
去ろうとする後ろ姿に、わたしのこれからの筋道を重ねて見据えろという事なのだろうか。
(´・ω・`)・・・・・・
(´・ω・`)あ、前記事の鼻毛の歌、同点ですが1席でした。←ちょっと?良い話題?
それなりに楽しい歌会でした。が、病気療養に入るというメンバーの方からのお便りを見せていただき
つくづくこれからの歌会の事など憂ったりした。
��0代後半から80代までの方がいる。
歌会が出来てから14年経ち、その間2名のメンバーが逝去され
創立時からいる方も健康に不安を抱えたり、人生の切り替わり時期とされたのか
足が遠のいている方もいたりする。
代表になった時から漠然とは思っていたけれど、一番年若な自分がこれから幾人もの方々の背中を
見送ることが増えてくる可能性を思うと改めて寂しい。
歌会と過ごした日々は、ある意味人生の一番ハードでタフな時期と重なる分
目に見えない幾重にも重なられた「何か」が徐々に剥がされていくような感覚を覚えた
今回の出来事だった。
歌会あっての生きること!とはあまりにも大袈裟すぎるけれど、少なくとも当時は
歌会があったおかげで死なずに済んだのはほんとう。
去ろうとする後ろ姿に、わたしのこれからの筋道を重ねて見据えろという事なのだろうか。
(´・ω・`)・・・・・・
(´・ω・`)あ、前記事の鼻毛の歌、同点ですが1席でした。←ちょっと?良い話題?
2011年6月16日木曜日
日々の残り物を題材に
まったくの虚構を積み上げて歌を造型的に作り上げる方もいれば
身近な愛しいもの(子供や家族、育てている草木などなど)を大事にスケッチするように
描きとめていく方もいたり、歌の題材は人それぞれ。
等身大の営みと歌の在り様が近くあればいいといつも思っているので
やはりそれに直結した題材を象徴的によく使ったりする。
ざっと今までのを思い出せるだけ箇条書きにしてみると・・
洗濯物 ブラジャー 歯ブラシ 嘔吐 水垢
排水溝 乳房 トイレ 下着 トースト 湿布
サラミ 半裸 ビール 扇風機 カレー鍋 コンビニ袋
あんぱん ロト6 督促状 カップヌードル
偏平足 イカの腸
しかし生活感あふれるラインナップw
手が届く範囲で実感できるものを選んでいくと自然こうなった感じ。
理由は後付けじゃないけれど、「五行歌だから」と一行ごとの独立性にこだわって
最初のうちは「題材ありき」で考えすぎてしまうというのもある気がする。
きれいなものをきれいなまま写生するというのも素敵な方法ではあるけれど
絵や写真(はたまた短歌や俳句)では出来ないやり方で五行歌そのものの可能性を
もっと開拓したら楽しいのではと思ってもいる。
ちなみに今週土曜、こちらで歌会があるのだけど今回提出した自作の題材が
鼻毛
題材倒れになる可能性大ですが使えただけで満足しておりますw
瞬間瞬間に生まれがちな「こうあるべき」的なものをささやかに時にはがっつり切り崩す。
自作に関してはそういう意識はし続けたい。
別の側面から見た「一首独立」という意味はこういうことも含まれているのかなとも思ったりした。
��違ったらすいませんですが)
身近な愛しいもの(子供や家族、育てている草木などなど)を大事にスケッチするように
描きとめていく方もいたり、歌の題材は人それぞれ。
等身大の営みと歌の在り様が近くあればいいといつも思っているので
やはりそれに直結した題材を象徴的によく使ったりする。
ざっと今までのを思い出せるだけ箇条書きにしてみると・・
洗濯物 ブラジャー 歯ブラシ 嘔吐 水垢
排水溝 乳房 トイレ 下着 トースト 湿布
サラミ 半裸 ビール 扇風機 カレー鍋 コンビニ袋
あんぱん ロト6 督促状 カップヌードル
偏平足 イカの腸
しかし生活感あふれるラインナップw
手が届く範囲で実感できるものを選んでいくと自然こうなった感じ。
理由は後付けじゃないけれど、「五行歌だから」と一行ごとの独立性にこだわって
最初のうちは「題材ありき」で考えすぎてしまうというのもある気がする。
きれいなものをきれいなまま写生するというのも素敵な方法ではあるけれど
絵や写真(はたまた短歌や俳句)では出来ないやり方で五行歌そのものの可能性を
もっと開拓したら楽しいのではと思ってもいる。
ちなみに今週土曜、こちらで歌会があるのだけど今回提出した自作の題材が
鼻毛
題材倒れになる可能性大ですが使えただけで満足しておりますw
瞬間瞬間に生まれがちな「こうあるべき」的なものをささやかに時にはがっつり切り崩す。
自作に関してはそういう意識はし続けたい。
別の側面から見た「一首独立」という意味はこういうことも含まれているのかなとも思ったりした。
��違ったらすいませんですが)
2011年6月11日土曜日
想いの自画像
歌そのものもそうだけども、こういう個人的な独白に近いブログとかに書く文章も含め、
自身のパーソナリティをなぞるというか私の体温が伝わるようなものでありたいというのが理想だ。
言葉を駆使してある世界を表現するというより、書くこと自体が私にとっては
普段思っていることを彫り起こす彫刻刀であり
日常を書き留めるボールペンであり、何よりも
人生の分岐点として我が身を振り返るが如く自画像をデッサンする木炭でもある。
未だ上手く描けたためしがないけれど、案外それを楽しんでいる感もある。
寸分違わず想いを表現できるなんて一生かかっても出来ないんじゃないかと思っている。
でも、それはそれとして「描き続けて」徐々に見えてくるもののリアル感に安心したくて描いている。
勿論その時々の光と影の射し方を忠実に再現しつつ。
歌という形にして楽しい時もあれば悲しくなってしまった時もあるけれど
どれも自画像。紛う事なき自分自身。
受け止め続けていくことに意味があるのだと思う。
自身のパーソナリティをなぞるというか私の体温が伝わるようなものでありたいというのが理想だ。
言葉を駆使してある世界を表現するというより、書くこと自体が私にとっては
普段思っていることを彫り起こす彫刻刀であり
日常を書き留めるボールペンであり、何よりも
人生の分岐点として我が身を振り返るが如く自画像をデッサンする木炭でもある。
未だ上手く描けたためしがないけれど、案外それを楽しんでいる感もある。
寸分違わず想いを表現できるなんて一生かかっても出来ないんじゃないかと思っている。
でも、それはそれとして「描き続けて」徐々に見えてくるもののリアル感に安心したくて描いている。
勿論その時々の光と影の射し方を忠実に再現しつつ。
歌という形にして楽しい時もあれば悲しくなってしまった時もあるけれど
どれも自画像。紛う事なき自分自身。
受け止め続けていくことに意味があるのだと思う。
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