ようやくというか、不定期刊の例のアレを出しました。
ここ最近忙しすぎるのでいよいよ大変な時が来る前に出しておこうと算段・・。
http://p.booklog.jp/book/43910
こちらからどうぞ!
2012年2月6日月曜日
2012年2月4日土曜日
絶賛七転八倒
前回から引き続きやっておりますw
こういう葛藤は嫌いじゃないけれども、今まで大抵の葛藤を歌にしてきたけれど
それはどこかで誰かは共感してくれるかもしれないというものがあったから
迷いがなかったのもあったかもしれない。
何らかの中断を経て再び線を繋ごうとする、しんどさや焦燥感
自分は何か「できている」のか「産めているのか」
それに「命を与えられているのか」
無心でいるには、私自身いろいろ曲道遠回りをし過ぎてきた。
一度失敗しているのもある。
もちろんその揺れすら歌うことに迷いはないけれど
届かないだろうなと思う。
でもそれでも
何らかのことがあって出戻ったり、道を閉ざしたり、あれこれ縮小しつつ細々と暮らしたり
本来お金では得られないものを、お金がない故に手放さざるを得なかったり
今この状態を越えれば、そういった「痛み」のようなものにずっともっと添える気がする。
そんなことをキーボードで打ちながら思った。
二重に増えた産みの苦しみを得られたことを
それでもありがたいと思わなくては。
息だけして「死んで」いた今までの来し方を思えば。
こういう葛藤は嫌いじゃないけれども、今まで大抵の葛藤を歌にしてきたけれど
それはどこかで誰かは共感してくれるかもしれないというものがあったから
迷いがなかったのもあったかもしれない。
何らかの中断を経て再び線を繋ごうとする、しんどさや焦燥感
自分は何か「できている」のか「産めているのか」
それに「命を与えられているのか」
無心でいるには、私自身いろいろ曲道遠回りをし過ぎてきた。
一度失敗しているのもある。
もちろんその揺れすら歌うことに迷いはないけれど
届かないだろうなと思う。
でもそれでも
何らかのことがあって出戻ったり、道を閉ざしたり、あれこれ縮小しつつ細々と暮らしたり
本来お金では得られないものを、お金がない故に手放さざるを得なかったり
今この状態を越えれば、そういった「痛み」のようなものにずっともっと添える気がする。
そんなことをキーボードで打ちながら思った。
二重に増えた産みの苦しみを得られたことを
それでもありがたいと思わなくては。
息だけして「死んで」いた今までの来し方を思えば。
2012年1月20日金曜日
初めまして
見た感じは楽しそうに見えるだろうけれども
なかなかヘヴィ。
私のように一度やめて数十年後にまた始めるというのは
珍しいパターンではないかと(イラストの話)
そういう意味では共有できる同業種の人はあまりいない
昔ほどは純粋に向き合えないという負い目(そもそも何に対してなのか)
無心でいるのは難しい。
なかなかヘヴィ。
私のように一度やめて数十年後にまた始めるというのは
珍しいパターンではないかと(イラストの話)
そういう意味では共有できる同業種の人はあまりいない
昔ほどは純粋に向き合えないという負い目(そもそも何に対してなのか)
無心でいるのは難しい。
2012年1月1日日曜日
振り返れ年の瀬
ずいぶん過疎化した(いやもともと出入りは少ない)当ブログです。
とにかく怒涛な1年でした。
結局は他人の自分らが何をどう出来るかという事より
少しでも、1ミリでも、半歩でも
進める力、日々を愛おしむ気持ち、歩けるパワーの隠された在処に
気づけるきっかけを爪の先でも伝えられればと思った毎日。
で、やはり思う。
クリエイティブなものは普段は役立たずだけどいつか落ち着いた時には
心の潤いを取り戻すお手伝いは出来るはずだと。
そしてそれは、やっぱり甘かったと。
多分しばらく、詩とか歌とか絵とかがくその役にも立たない時期は続く(世の景気と並列して)。
この状況から何を学べるかだと思う。
理解できないことや学ばなかったことを知る、拡げていく。
お手軽じゃないスタンダードなやり方で。
ある意味もう、自分の世界だけで完結していてどうにかなった時代ではないのかなと。
話は変わって、かつての稼業をマイペースで再開させつつ描く楽しみを取り戻すために
別ブログを立ち上げていたりします。→箱裏DAYS
再び筆を握らせたのはこれもまた震災がきっかけであったりしますが
歌とのギャップが激しいですがwこのアップダウンに長らく苦しんでいたともいえます。
生みの苦しみを隠さずにこれからも。
良いお年をお迎えくださいませ。
とにかく怒涛な1年でした。
結局は他人の自分らが何をどう出来るかという事より
少しでも、1ミリでも、半歩でも
進める力、日々を愛おしむ気持ち、歩けるパワーの隠された在処に
気づけるきっかけを爪の先でも伝えられればと思った毎日。
で、やはり思う。
クリエイティブなものは普段は役立たずだけどいつか落ち着いた時には
心の潤いを取り戻すお手伝いは出来るはずだと。
そしてそれは、やっぱり甘かったと。
多分しばらく、詩とか歌とか絵とかがくその役にも立たない時期は続く(世の景気と並列して)。
この状況から何を学べるかだと思う。
理解できないことや学ばなかったことを知る、拡げていく。
お手軽じゃないスタンダードなやり方で。
ある意味もう、自分の世界だけで完結していてどうにかなった時代ではないのかなと。
話は変わって、かつての稼業をマイペースで再開させつつ描く楽しみを取り戻すために
別ブログを立ち上げていたりします。→箱裏DAYS
再び筆を握らせたのはこれもまた震災がきっかけであったりしますが
歌とのギャップが激しいですがwこのアップダウンに長らく苦しんでいたともいえます。
生みの苦しみを隠さずにこれからも。
良いお年をお迎えくださいませ。
2011年12月14日水曜日
脱ぐという必然
おのれを脱ぐ、という意識で書くことの背景はどんなものなのだろうと思う。
赤裸々な言葉を使うことだろうか、胸に潜む願望や欲をさらけ出すことだろうか。
それとも日常からの解放か。
言葉や展開そのものよりも、作者自身が、脱ぐ、ということについてどういう思いであるのか、
どんな変転を経てそう至ったのだろうか。
脱ぐ=官能と結びつけがちであるけれど、
自分でとっとと脱ぐか読み手に最後の一枚を剥ぎ取ってもらうかの違いは大きい。
この下着は貴方が脱がせてね、みたいな(私が書くとなんか途端に台無しw)
という意味では全てを脱ぎきってない前提で官能歌は成り立つ部分はあると思う。
やむにやまれぬものがあるほど言葉的や状況的にはリアルになる(というかノンフィクションに近くなる)
今までとは違った感覚をを目下感度磨き中ではあるけれど、
ここでさらけ出さなければ息が吸えない、とか
今吐き出さなければ死ぬしかない、とか
ああいう必然の呼吸がまたいつか、どーんと五行になって来るのだろうか。
生きている実感として絶頂の如く迫ってくるような。
赤裸々な言葉を使うことだろうか、胸に潜む願望や欲をさらけ出すことだろうか。
それとも日常からの解放か。
言葉や展開そのものよりも、作者自身が、脱ぐ、ということについてどういう思いであるのか、
どんな変転を経てそう至ったのだろうか。
脱ぐ=官能と結びつけがちであるけれど、
自分でとっとと脱ぐか読み手に最後の一枚を剥ぎ取ってもらうかの違いは大きい。
この下着は貴方が脱がせてね、みたいな(私が書くとなんか途端に台無しw)
という意味では全てを脱ぎきってない前提で官能歌は成り立つ部分はあると思う。
やむにやまれぬものがあるほど言葉的や状況的にはリアルになる(というかノンフィクションに近くなる)
今までとは違った感覚をを目下感度磨き中ではあるけれど、
ここでさらけ出さなければ息が吸えない、とか
今吐き出さなければ死ぬしかない、とか
ああいう必然の呼吸がまたいつか、どーんと五行になって来るのだろうか。
生きている実感として絶頂の如く迫ってくるような。
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