昨日の歌会で、久々に東京から戻ってきたT水氏も
「やっぱり、震災の歌は書けないね。僕らがテレビで見ているのと実際遭遇した人たちではやはり違う。」
と言っていた。心の中で大いに頷く。
遠くから垣間見るしかなかった今回の事で、私自身、というよりものの見方や歌への向き合い方に
なにか変化はあっただろうか?と自分に問うてみる。
とにかく様々な人や知己ある方の惑い悩む様子や見えない負の部分を、そして大きな災害というテーマで
全国民が考え動き、論議し、労わり合う様子をSNSやツイッターなどで垣間見ることで
私自身もの思ううえで考えにも及ばなかった視点や深み、拡がりを発見出来た。
ただ、自身にぴったり添う「真理」を滲ませる言葉はそこから掻い摘めることはなかった。
情報は本当に手段でしかない。そしてそれは心の安心や安全を約束できるものでもない。
耳触りのいい言葉やこれぞ正義だと掲げる美辞麗句もある。けれどそれを「投げつけられたような違和感」を
感じられるのはどれくらいいるだろうか。情報そのものじゃなく言葉に躍らされた感がある人を見るにつけ
「それって歌を通して言葉に接している人としてどうだろう?」と思う事もあった。
自信を省みてもっともっと「筋金入り」で向き合うべきだと肝に銘じた。
で、大事なものとそうでないものの見極めはいよいよはっきりしてきた感もある。
歌に対する姿勢では、(前記事~書くことで)で書いたこととさほど変わらないけれど
「やはり自分自身のリアルな実感が大事」だと思いは強くなった。
それは表現するスタイルが写実でも虚構でも同じことだと思うのだ。
手に触れる半径分でも(人によっては庭の花でも本でも子供でも)かけがえないものに対しては大事に向き合いたいとも。
そして、限りなく自己完結な自分の歌ではあるけれど、ふと読む側への意識が出てきた。
普段向き合っている真理には目を離さないけれども「手」だけは差し伸べているといった具合に。
繋がりという重要性を図らずも感じた部分もあるかもしれない。それが多分「歯車」の歌が生まれたことに繋がる気がしている。
震災前だったらまず、ああいう発想は生まれなかっただろう。
基本誰かのためじゃない自分のためだけの詩歌であるけれど、手だけ、手だけ出しておくことで
私の世界が少しか変化するきっかけになるかもしれない。その手を誰かが握ることでまた違う拡がりが
出てくるかもしれない。(やさしさに非ず。そういう意味で貪欲になってきたという事で)
繋がることで「互いの深い部分を少し潤わせる」そういう可能性を私自身にも見つけ出せた事は大きかった。
ちょっとこれは他の歌をしている人に参考までに聞いてみたいなと思う。
・ものの見方や思い方の変化はあったか。
・歌に対する姿勢はどうか。
お暇な方はコメント欄にでもどうぞ。
涙や憤りは、私たちが代弁することで減ることはない、とすれば歌うことはただひとつしかないと思う。
流されずその人それぞれの「ただひとつ」と向き合うしかないのではないか。
他者の辛抱強さに目を見張れるのなら、あなた自身の弱さを見つめなくては。
世の不条理と同じくらい、あなた自身に憤らなくては。
当たり前だと思っている平穏を、より深く大事に描いていかなくては。
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この日記を拝読してから考えてたんですけどね。
・ものの見方や思い方の変化はあったか。
あらためてふりかえってみると、私にとっては
震災が何か新しい考えや感覚をもたらしたというよりは
震災以前にもいろんな出来事を見聞きして考えたり感じたりしていたことを
震災によってよりはっきり考えたり、より強烈に感じたりするようにはなったという
感じですね。
それによって私の世界観だの価値観だのが変わったか、というと
そういうわけでもないです。
だから大局的には、ものの見方や思い方の変化はない、ということになります。
・歌に対する姿勢はどうか。
震災を歌にする、あるいは歌を通じて誰かの力になることを願う
というあり方を敬服する一方で
自分は、変化してませんね。というか変化しないことを選んだという感じです。
「役に立たない歌」を書き続けることにある種の自負?のようなものがあったので
こうなってもやはり「役に立たない歌」を書いていこう、と。
でも、震災で考えたり感じたりしたことが
間接的に、ひょっとしたら自分でも気づかない形で
歌に反映される可能性はあるな、と思っています。
震災を歌にする、あるいは歌を通じて誰かの力になることを願う
というのも、そうしたい思いが自分の中から自然に出てくるようなことが今後あれば
そうするだろうと思います。
考える機会をありがとうございました。
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薔子さん、コメントありがとうございます。
ここ最近本当に世論も二元化(大まかにですが。もちろん声高ではない中庸の人も多々いるという前提で)された雰囲気になってしまって、一昔の戦時中とかこういう感じだったんだろうなあと
しみじみしてしまいます。
確よく今回の事で「今までの世界は変わってしまった」という人もいたりしますけど
単に芯の危うさといろいろな部分で節穴の目線だっただけで世界は何ら変わっていない。
妙な「正しさ」のエネルギーで世に倣わされそうなウザさもありますが、幸いこうして歌を通して
内面に向き合える事も出来るし、わたしも自分の歩幅は変えたくないと思います。
こちらこそ薔子さんの姿勢を改めて垣間見て心強く感じました。ありがとうございます。
歌の方でも確かな輪郭を感じさせてくれる事を楽しみに願いつつ・・・(*´ω`*)