2010年10月3日日曜日

手を止めてもの思う

現在2004年度からの作品をwordに入力しているのだけど、2005年12月あたりで小休止中。

この頃はたしか・・・恋愛ごとも事件もなかったが生活だけは切迫していたという

なんとも無味な時期だったような気がする。

だからなんとなく歌も無味で(それは今もか)それに対してしみじみするたび

キーボードの手も止まるという・・・。古いアルバム整理して見入って時間が経つのと同じですね。

なんだろう、平穏な暮らしに憧れて、つい最近までゆるゆる暮らせてはいたけども

それまでいかにおざなりに日々を過ごしていたかが、穏やかな時間の中だからこそ

浮き彫りにされてきた感がある。

そこから少しずつ、「取り戻せないものもあるんだなあ」と自分を納得させていって。

そこから前出の日記に繋がるわけですが。



新たな感情で空虚と向き合うこの時間も、いつか意味あるように熟していくのだろうか。


話は変わって、久々に啄木の歌など見たんですが、あの友人たちが偉く思えて妻に花を買う歌を結構勘違いして覚えてて

ちょっと申し訳なく思ったり。

あれは妻に花を買うという行為で自分の遊興ゆえの貧困の償いをしているのかと思いきや、

奥さんも自分で花を買ってきたりしていたそうで、綺麗なチューリップやフリージアに夫婦して

救いを求めていた部分もあったのだなあと思った。

誤魔化しだけじゃない気持ちもあったのだろうなあ、すまん啄木。

でも誤魔化し7割ほど強く感じるのはわたしだけだろうか・・・w

この人の作品の突っ込みどころの多さはそれだけ普遍的な人の感情の矛盾性と

繋がる部分もあるから今もって愛読されているのだなあと綺麗に終わってみる。

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