2010年11月8日月曜日

No title

多分自分がこれほど迷うのを好きではないのは

世の理、当たり前の事、うつくしい瞬間、暖かい思いやりなどなどを

迷うその間に見過ごす事が嫌なのだ、というより見過ごしてはならないと思ってしまう。

数々の恩義や善意の手を振り払い、足蹴にして、捨てていったものはやまほどある。

踏みつけにしたすべての体温はまだ私の足裏に残っている。

それを引き換えにしているからには迷っている場合ではない。

どう頑張ったって人と人は迷惑を掛け合う生き物ならば

これからどれだけ浚われ奪われ裏切られようとしても

許し続けていく。

きっと見えないところで自分も同じことをしてきたのだから。




2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    いつも迷ってばかりの私には耳に痛い言葉でした。
    買い物や歌詠むときは迷わないのに、
    迷う毎日もたくさんあり、
    迷わずスパスパ決めるのも
    どっちも自分なんだなぁ…と
    しみじみ拝見しました。
    人を傷つけずに人とは関われないし
    人と関われずに社会では生きていけないですしね
    ��ん?また言いたいことがずれてきてる気が…)
    まだ迷っていたい(←これがやっかいな)こともありますし→単なる甘えともいいます(^^ゞ

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  2. SECRET: 0
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    多分人が絡むと迷うというより熟考します、あとファミレスとか・・・。
    結果どうあれ自分で答えが出せればいいんじゃないかなーとも思いますよ~。
    悔いのない選択って難しいけど、選んだ以上は
    それが最良なのだと進んでいくしかないですし。

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