2010年12月6日月曜日

散文とその人となり

知人友人著名人などのmixi日記やブログ記事を見るたびに

普段見ているその人の印象と案外ギャップがあったりする様が興味深い。

私自身を知っている人からすれば、私もその例に入ると思う。

散文や歌だと自分自身「何を伝えたいか」整理がつくので急かされる事もなく訥々とキーボードで打ち込める。

とりとめもなくおしゃべりは嫌いじゃないけど逆に「理路整然と説明しなさい」と言われると焦る。

ある意味歌会でコメントを言うのが苦痛なタイプだ。


しゃきんと真摯な文を書く人が、実際会って話すとふんわりした感じだったりその逆もあったり。

一見破天荒だけど、散文だと至極ノーマルな繊細さを見せていたり。

孤高そうな人が絵文字や顔文字駆使していたりw

もちろんそういうブレのない人もいたり。

どれもその人の「コミュニケーションに対する意識」みたいなものがなせるものなのだろうけど。


ただ、無味無臭な文章使いというか(上手い下手ではなく)意識が空白かな?というか

役者さんや歌い手さんは割と自分の催し物に関するPR文とは別にそういう感じが多い気がする。

それはきっと彼らの伝達手段としての意識はそっちではないというだけなのだよね。

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