自分の頑なさにもがいているというのは不器用、と片付けるのは違うと思う。
己との対話、向き合う方向がいつも同じというのは意識的なものだ。
変わること、抑えること、受け入れる事イコール自分の世界を侵食し脅かし荒らす事と
決してそうは思わなくても心の隅でかすかに捉えてしまうきらいはないだろうか。
個性とかスタイルとかよく聞くけど、あってないようなものであり、
本人以外の者が言葉で語れる範疇で「この人はこう」とラベルを貼っていくようなものだ。
外へ外へと発するパフォーマーや表現者はそういうものを越えているような気がする。
伝えたい「そのもの」だけをクリアーに確実に届けるような。そこには演者の我や迷いなどはない。
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ときどき自分が「いたこ」みたいだなーと思うことがある。
何かがアンテナにふれて、それが自分の身体を通過して出しているって感じ。
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知的好奇心とか、触発されたいとか
そういう欲求に対して水のように素直な性質というのは
才能と思ったりするのです。
私自身奥底ではまだまだ選り好みしている部分があるかも。
なのでしーさんとか空こさんとかの動きは目を見張るばかり。
自分にとっての心地いいもの=肥やしとは
また違ってきたりするものだよねえ。
その意識の持ち方で変わる部分もあったりね。