2011年2月2日水曜日

No title

というより使うタイミングの問題な気がする。

口に出すか出さないか、人に聞かせるかどうか。

「それが自分だから」とか。

そういうのは言葉の形にする以前に己の生き様で示すものじゃないのか?

あと、本来の意味を形骸化させるというか、本来奥深い意義があるはずなのに

言葉にするととても薄いものに感じさせてしまう。そして呪縛感。

簡単に「正義」とか壇上に挙げられると泣きそうになる。

英訳のJusticeはどこまでも風通しが良いのに。漢字というものの形質的に仕方ないのだろうけど。

西洋の正義論とはまた違う日本ならではの閉塞感がたぶん個人的に嫌なのだと思う。

2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    私も「正義」は「心地よくなさ」を感じてしまうことが多いですね。
    あと、本来もっと深い意味だろうに、とよく思ってしまうのが「癒し」ですね。
    「それが自分だから」的なことは云ったり書いたりしちゃってる気が(^^;
    以後気をつけようと思います。

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  2. SECRET: 0
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    ああーわかります。
    何というか簡単に「癒されたがる」風潮のせいか、
    発する言葉の意味自体も軽ろんじられてしまう部分がありますよね。
    ちょろっとwikiってみたので貼ってみます
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%92%E3%81%97
    歌そのものの原初的な意味と重なる感じですね。
    「それが自分だから」というのは大昔に知人に言われまして
    何でもそれで自己完結させてるらしいです。
    身の上話だったんですが最後の決め台詞がそれで
    突っ込む気力が失せたのを覚えてます(笑)
    立ち位置を定めるには安心できる言葉ではあるけど
    あえて胸に収める方がカッコイイ気もします。
    前後の話の内容にもよりますけどね^^

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