2011年3月19日土曜日

順番待ち

こちら札幌でも「何とかしたいけど・・・」と連日飛び込んでくる震災の報道を目にして

歯がゆく思っている人はかなり多い。

正規な窓口の募金など、出来る範囲の事であれこれと支援しているといった具合だ。



尼崎在住の知人がいる。阪神大震災を経験している。

数年の付き合いだけどまず本人の口からその当時の話を言う事はなかった。

遠回しで伺ってもはぐらかされたので、私も触れないようにした。

そして先週の震災だ。かなり揺れてしばらくして収まった後、速攻携帯にメールが来た。

来たというかその来たスピードにびっくりした。

こちらは大丈夫とだけ返信して、その夜NHKの緊急報道番組を見ながらスカイプで話をした。

震災経験者からのアドバイスや体験談を訥々と話し始めたのだ(若干イキイキと)

意外な事だと驚きながらもうんうん聞きつつ、ふと彼が長年話題にも出さなかった理由が

何となくわかってきた。

当事者として得たこと、受け止めたもの、痛感したこと

それは平穏な時に話しても思い出話にしかならない

有事が起こって初めて共有出来うるものだから、今回それを語れる切っ掛けが出来たことで

長年抱えていた何かを渡せることが出来たのだと思う。

気仙沼の火災を、当時の長田区のと重ね合わせながら

「復興の工事や廃棄物処理やらで全国から業者や日雇いが来るから、景気は上がるかもやでー」

と、言っていた。この言葉が彼なりの支援だ。


命が終わる順番は誰にも予測は出来ない。

でも人の力でどうにでもなるもの、手を差し伸べる順番は大筋で見える。

有形無形大なり小なり人それぞれ。

皆待っているのである。自分が動ける順番を。

もちろんそこには、たすきやバトンを手にじりじりと待っている震災経験者達もいるのだろうと思う。

彼のように。




だから「何もできない」と嘆くな。

嘆く人の頬を拭うのは、君なんだ。

順番は必ず回ってくる。

焦るな。

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