2011年3月18日金曜日

物事を自分の中で整理して咀嚼して吸収するとき

一旦それを文字という形にする習慣がある。自分なりに「食べやすいように」纏めるため。

書くことで、心に焼き付け

書くことで整頓される想いに安心したりする。

悲しみも憤りも喜びも

書くことで昇華してきた。




これだけは、自分を裏切らない

というものに出会えた時

自分を再生する術を知ることが出来るのではないだろうか。

人でも物でも行為でも。


生きている浮き沈みの狭間から

感情の極まりから、時を経て少し解放された時

文字一字でも言葉でも絵でもいい。


その時の気持ちをあなたの手でかたちにしてみてごらん。

あなたから生まれた感情はあなただけのもの。

浅はかだろうが愚かだろうが未熟だろうが

かたちにして、晒してみればいい。





そこから何に気づく?






気づいたものの正体は、必ずしもあなたに優しいものじゃない。

痛みを甦らせたり、苦みを再びこみ上がらせたり、やや重い枷であったり

でも決して裏切らない。



書くことで、問い

書くことで、答え

そこに生きているという実感がある。




揺れながらも歩みを進める自身の明日の道筋を

今夜も書き留めよう。

2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
    PASS: d436123b10d3f9298e7263e0128ad545
    しばらく、書くことのフタが閉まったまんまになっていた気がします。
    わたしも書くことで救われてきた一人だし、それを信じています。
    毎日どこかがしびれているような感覚が続いているけど、どこかで動かしていかなければいけない気もしている。

    返信削除
  2. SECRET: 0
    PASS: 4cb5a59cb1b2983d4b4c9f8968c0d5e3
    そこはゆるゆるとでいいのではないかと思います。
    想定外や許容範囲を越えることが起こった時、なんかがリセットされて
    動かなくなる時ってあるよね。
    たぶん全国的にそうなのではないかな。
    歌作とかも、現在の状況を自分も書けないことはないとは思うけど、
    どうしてもそれを形にして目に触れさせる気はおきない。
    その現実に直接触れていない私にとって、テレビや報道の写し書きにしかならないから。
    心の共感だけじゃダメなんだよねえ。

    返信削除