物事を自分の中で整理して咀嚼して吸収するとき
一旦それを文字という形にする習慣がある。自分なりに「食べやすいように」纏めるため。
書くことで、心に焼き付け
書くことで整頓される想いに安心したりする。
悲しみも憤りも喜びも
書くことで昇華してきた。
これだけは、自分を裏切らない
というものに出会えた時
自分を再生する術を知ることが出来るのではないだろうか。
人でも物でも行為でも。
生きている浮き沈みの狭間から
感情の極まりから、時を経て少し解放された時
文字一字でも言葉でも絵でもいい。
その時の気持ちをあなたの手でかたちにしてみてごらん。
あなたから生まれた感情はあなただけのもの。
浅はかだろうが愚かだろうが未熟だろうが
かたちにして、晒してみればいい。
そこから何に気づく?
気づいたものの正体は、必ずしもあなたに優しいものじゃない。
痛みを甦らせたり、苦みを再びこみ上がらせたり、やや重い枷であったり
でも決して裏切らない。
書くことで、問い
書くことで、答え
そこに生きているという実感がある。
揺れながらも歩みを進める自身の明日の道筋を
今夜も書き留めよう。
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しばらく、書くことのフタが閉まったまんまになっていた気がします。
わたしも書くことで救われてきた一人だし、それを信じています。
毎日どこかがしびれているような感覚が続いているけど、どこかで動かしていかなければいけない気もしている。
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そこはゆるゆるとでいいのではないかと思います。
想定外や許容範囲を越えることが起こった時、なんかがリセットされて
動かなくなる時ってあるよね。
たぶん全国的にそうなのではないかな。
歌作とかも、現在の状況を自分も書けないことはないとは思うけど、
どうしてもそれを形にして目に触れさせる気はおきない。
その現実に直接触れていない私にとって、テレビや報道の写し書きにしかならないから。
心の共感だけじゃダメなんだよねえ。