2006年02月02日11:33
「僕はどうも合わないなぁ」と歌を書いていた知人(男性)が
ある歌をいくつか挙げた。
その時二人で見ていたのは五行歌誌。
その歌は姿勢正しく、美しい心のありようを語っていたが、そこが物足りないらしい。
でもまぁ、思いの上澄みを歌うことが作者にとっての完成形なのかもよ、と言うと
「きれいでもその世界観が狭いのが気になる」
あぁ、なるほど。
テクニックだけで表現できる広さがあっても
それは字面だけ「広い」と書かれていて、あー広いんだなと漠然と思うだけに留まるにすぎない。
普段の価値観の奥行き広さが、スケールの広さか大風呂敷かの境目を決めている気がする。
「思い切って自分の世界を広げてみるとかの発想がないのかもしれない」
例えば?
「駆け落ちとか家出とか」
・・・(ややウケタ笑)でもそれって本人が何かをきっかけに
意識しないと変わらないよね。
「ある意味与えられた環境で満足しているから、余程の事がない限り
自らの枠を拡げようとは考えてないと思うよ。」
多分彼自身の好き嫌いも激しく関与してますが
なんとなく納得。
もちろん作者だって自分の歌に満足なんてしている訳はないでしょうが、
そう考えられるかどうかなのかなぁ。
30過ぎてから「私変わらなきゃ!」「本当の自分て何だろう?」は
遅いがな!と思いますが
手遅れという意味でなし、経てきた年齢と経験で凝り固まり始めた分
葛藤が激しいよっていう意味です。
でも、それを越えていって脱皮していたひとも沢山いますし。
失うことを畏れなければ、ずーっと先に得るものもある。
目先の痛さを堪えてまずは、脱いでみたらば?
そこで取り巻く温もりや、剥き身な自らの脆さを知るはず。
その服をまた着るか、どうかは自分次第で。
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