2010年11月15日月曜日

活字に触れる、歌に触れる

「~の世界」とか「まさに~さんらしい」とか一括りに評価されるのって

本当に好きじゃないんだけど、先月の歌会の際ふとなんとなく自分の歌って

ジャンルがあるとすれば「もしかして・・・ヨゴレ系?」

と思ってしまったw

いや、それくらいきちんとした歌というか、四季を愛でもののあはれを感じ、という綺麗な歌が多かったので

久々に参加してみて今まで気にした事なかったことが妙に気になったんだった。


現在の札幌歌会では、五行歌を始めたばかりという方も多いと聞く。

これからどんな風に変化していくのかが興味深い。

同じ秋の情景を詠んでいても、この方は楷書風、あの人はボールペン字風、絵手紙風などなど、一人一人タッチが違う。

さらに、自分の内面を投影させていたり、お孫さんやお子さんが登場するスナップのように

表現されていたり、心象的に何か木や物をクローズアップしていたり、アプローチの仕方も様々だ。

これは本誌をしげしげと眺めている以上に、実際の歌会に参加してみると、歌そのものの

輪郭がぐぐっと前面に出てきてすごく分かる。多分本誌を読むより「歌」そのものに

触れているんだという実感がある。



作者本人から伺う雰囲気や味、空気感もその歌に対する感じ方の要因に含まれるからかもしれない。

むつかしいのだけど、活字だけでは「香り」は感じても「匂い」まではわからない。

「手触り」は分かっても「体温」までは難しい。



そういう意味で本誌の作品評や書評は本当に難儀する。

評をしてても「これって自己満足?」と振り返る瞬間がある。

��00%自分の感性になんて自信も責任も持てないから、脳の別の部分も使ってあれこれ思索するのだけども。

なるべくなら誇大感動成分は自分の作品にだけ使いたい。

耳障りがよくとも作者の薬にもならない事を言うのもどうかと思うし、何より評することの横着にしかならない。



とかそういうことを考えつつ入浴にいってきます。

しかし、ブログ作ってから妙にマメに更新しているな私・・・。

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