数年ぶりのヨミガタリを観覧しに行ってきた。
普段呼吸やリズムを意識して歌を作っているけども、歌そのものの真の姿は
たぶん他者の目や呼吸(唄とか朗読とか、今回のヨミガタリもそう)を通してみないと
見えてこない。
晒されてなお肉体を持って言葉が立ち上るような、そういうものなのではないだろうか。
もちろんやわな芯の歌は脆弱な形も露わになるわけで、聞いていて冷や汗だってかく。
けれどそこからしか判らない何かを知りたいという気持ちがないと
いつまでも変わらないし、そこそこやってきたつもりだけどきっともっと
恥の経験値は足りないなあと思う。
そういう再確認の為に自作をヨミガタリしてもらったり、作詞みたいなことにも
興味が湧いたりしている。
生の息を吹き込み新しい命を与えてくれる人々に敬意を示しつつ
これからも自分の想いを見つめ続けていければと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿