昔の職種(イラストレーター)の肩書きを、実はあまり好きではなかった。
妙によそ行きの服を着せられているようで、好きで始めた事ではあるけれど
そう呼ばれること、もしくは必要があって名乗らなければならなかったことに
すごく違和感を覚えながら仕事していた。
そのうちあれこれあってすっかり足を洗って、まさに浮き草状態wで現在に至るのだけれども
好きでやっていた仕事より、別段思い入れのない今の仕事の方がある意味肩肘張らず気安さと
風通しの良さを感じている。もちろん仕事だからいい事ばかりではないけれど、体を動かして
汗をかいて、得たものの重さや確かさがじわじわと自分に染み込んでくる感覚は
机に向かって楽しむのが仕事だと思って絵を描いていた頃にはなかった。
「はたらく」という深い意味を、固執していた「好き」なものを棄ててようやく見えてきたのだと思う。
つくづく不器用である。
前いた業界の人から見ればきっと「落ちぶれた」部類に入るのだろう。
それでもわりかし自由な立ち位置でマイペースに現場で作業しながら、日々の移ろいに心を預け
もの想う、という暮らしの中で私という人間の生きるリズムと向き合えることが尊く思える。
ちなみに表題は「カタカナ」考えてみれば自分の考えていたはたらく、というイメージが
イラストレーターと結びつかなかった部分があったのかもと思ったり。
ドライバーより運転手、ミュージシャンより音楽家、コックより料理人
不思議と漢字の言い回しだとその職種であることの自負すら感じさせる気がする。
私はどうだろう。
職種というより私自身であることに違わないという意味なら、自分の名前になるのだろう。
石垣りんの「表札」の詩のように。
想うこと、書くことと私の暮らしをもっともっと重ねていければと思う。
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