歌友がツイッターで呟いていた「想いを固定してしまう言葉の怖さ」について考えてみる。(大して深くもないですが見当はずれな感も多々・・・)
なのでそれに対しての個人的見解をつらつら書いていくという、いつもの意味不明さなので(当人宛のスタンスです)
今回は畳み記事です。覗いてみても構いませんが本当に意味不明なので(;´Д`)
代わりにyoutubeからかわいい画像貼っておきます。(なんのブログなんだかw)
形状記憶合金まではいかなくとも、想いの形状を再現しているものが言葉と思っている。
なので言葉そのものは「記号」「ツール」という感覚。仮面であり張りぼてでありそれはどんな装飾をしようが
どう作り変えようが自由だけど想いがみちみちに詰まってやっと、その言葉の意味になりえる。
違ったらごめんですが何となく言葉そのものの怖さというより、言葉を固定してしまう、そして言葉であやふやにしてしまう
自身に対する歯がゆさなのかなあと感じた。(この2方法は違うようでいて同じである)
文字でも絵でも話すことでも伝えられない表現しきれない、でも固めたくないけれど形にしたい
もどかしさの根本的な正体って何だろう。
個人的に思うのはそれはいくばくかの「自我」なのではないだろうかということ。
どっぷりと味わいたい、でも誰かと少しは共有もしたい。
自分だけの楽しい時間、でもそれでいいのだろうか。
平穏な日常の中で満たされてはいるけれど閉塞感もないこともなくて。
それでも少しずつ様々な人や創造物と触れあって、ふやふやっと目覚めてきたものとそれを表現する上での葛藤・・・
��と、ここまで書いてきて思い当たる人が結構周りにいることに気が付いた。あんな方こんな方、しかも共通点もある)。
ふんわり毎日を過ごしているようで(そう見える)内なるささやかな揺らぎを抱えている。
その揺らぎこそ、まんま歌じゃないかなと傍から見れば思うのだけど当人が自覚しないと
形にならないのだろうしなあと傍観するしかなくて。
想いを解き放つ、その段階に踏み出すまでは怖いかもしれない。
踏み出さない選択ももちろん出来る。いつまでも同じでいいのならそれでいいとも思う。
でも
見る世界が狭ければ、言葉も狭まる。
その中に収めようと思うほど、形だけの言葉になる。
迷うほどに、言葉は無味無臭になる。
もういいや、と放り投げれば、何も伝わらぬ言葉になる。
言葉を穏やかに拡げるのも、つまらなく収めるのも、綴り手次第なのかなと。
自分だけじゃなく関わりあるすべてのものをひっくるめて、あなたはあなた自身を全うしていますか?
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おはようございます
全くまっとうしてない私です…
言葉が記号…というのも、それから歌へ。というのも
わかります(多分)
私の中では 記号として思いを表現してしまったら
また そうじゃなくて表現があるかも…と
いう葛藤が続いていまして…
詠んでは「違う」の繰り返しの最中かなぁ
うかんできた思いを歌にしてるつもりになってるみたいな……
言葉のパズル並べてるみたいな→うまくいえなくてすみません
震災以前いや父が亡くなる以前は
もう 何もかも 五行にみえて(目の前に浮かぶ感じ)
楽しくて楽しくて
辛さも苦しさも歌にするときちんとむきあえたのだけど……
結局まだまだなんでしょうね~~
自分の歌が 記号にしか見えない最近
色々考えさせてもらって嬉しいです!
ありがとう♪
まだまだ考えて迷って旅を続けます(^^)/
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その葛藤の理由はなんなんだろうか、と思いました。そこを考えてみると
何となく出口にちょっと近づく気がします。解き放つこととぴしっと収めることの
バランス・・・・でもそのおっとっとな感じに遊んでいたい部分もあるのかなとも。
でもバランスとるのって窮屈でもないんですけどね(´ω`)見えない部分に自由でいられる。
その実感は揺れていてはわからないけれども。
わたし、中島文さんの自分の受け持ちの生徒さんを歌った歌(たぶん学校の先生をされている)が好きなんですね。
ありのままのスケッチでもまるごとの感動がものすごく伝わって、もちろん他にもいい歌があるのだけど
実際生徒さんと接している中島さんにしか描けないダイナミズムだと思う。
こう書くとなんですが夢も希望もないわたしからすればw
空こさんの周りは題材がいっぱいあふれていると思うのだけど。
身近な題材そのものに目を向けることは技術じゃなくて、それこそ日々や自分を取り巻くものを
愛して受け入れて目をかけることじゃないかなと思います。
好きなものをそのまま好き!と形にしてそれでも結果うまくまとまらなくても
気持ちが伝われば誰も笑ったりしませんよ。
メールやこういう文章で感じる、空こさんの日常に対するわくわく感
本に対する一種独特のときめきとか歌ででも感じてみたいものです(*´ω`*)
こちらこそ考える機会を与えてくれてありがとうございます。