2011年6月29日水曜日

ヒロイモノの実感

ただ願い、ただ祈る。

それは手を尽くせるだけ尽くしての最後の手段、人知の及ばぬ領域にのみ

向けられる眼差しでしかない気もする。



感じ方にもよるだろうか。

先が見えないという人もいる。

信じていたものが次々と壊れていったという人もいる。




それでも



来るな!といっても容赦なく明日は来る。


安穏とした日々に見過ごしていた大切なものを


肌身離さずタフな今日を生きていくだけ。



転んでもただでは起きないというのは



痛い経験で学習するとかの意味ではあるけれども



どうせ転んだのなら



小銭や何か拾えるものでもあればはいずり回って



拾っとけ!ということだなと自分的に解釈している。



そしてそれは、ある意味誰の手も借りず



自分の手で確実に大事ななにかを掴めるということと思う。



そんなどさくさも生きていく自信のひとつな気がする。

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