ただ願い、ただ祈る。
それは手を尽くせるだけ尽くしての最後の手段、人知の及ばぬ領域にのみ
向けられる眼差しでしかない気もする。
感じ方にもよるだろうか。
先が見えないという人もいる。
信じていたものが次々と壊れていったという人もいる。
それでも
来るな!といっても容赦なく明日は来る。
安穏とした日々に見過ごしていた大切なものを
肌身離さずタフな今日を生きていくだけ。
転んでもただでは起きないというのは
痛い経験で学習するとかの意味ではあるけれども
どうせ転んだのなら
小銭や何か拾えるものでもあればはいずり回って
拾っとけ!ということだなと自分的に解釈している。
そしてそれは、ある意味誰の手も借りず
自分の手で確実に大事ななにかを掴めるということと思う。
そんなどさくさも生きていく自信のひとつな気がする。
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