2011年6月26日日曜日

自分の歌の「芯」だと思っていたものは、借りもののイデオロギーではないのか?

という問いと自戒でもって足元を見つめる。

その時代でしか生まれないものもあるけれど、大概そういうものはいとも簡単に

人の中の情と、普段生産的ではない生業に没頭していた方々(音楽系、文系、理想が天よりも高い、

机上のエコや平和論が好きな人、大正時代における高等遊民のような方々)の

有事での我が身の無力感を刺激し「ちいさな声だけどあげることに意義があるはず(`・ω・´)」

という感情に付け込んでくる。(間違っちゃいないけれど明らかに最近は暴走しているよねぇ)


己しか出来ないことや持ち得ない感性や求心力、実直に日々を確かに暮らすことに目を背けて。

軸のぶれていく人を見続けるかなしさ。

これもまた淘汰なのかなと思えばそうなのだろうけれども。



畑というものは人間と同じで耕し続けなければ使い物にならなくなるのだという。

耕し、植えても食べてもらえる保証はないかもしれない土地で、それでも真摯に土と向き合う姿を思う時

やはり自分のしていることは小さいなと思う。それでも

恥じ入ることがその人たちを忘れぬ一鍬として何の足しにもならぬ歌を作り続けていくしかない。

これが流されずに外から気を掛け続け、遠回しに手助け出来うる最良で賢明な方法と信じて。

2 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    あいたたたた(^^;
    ��普段生産的ではない生業に没頭していた方々(音楽系、文系、理想が天よりも高い、
    ��机上のエコや平和論が好きな人、大正時代における高等遊民のような方々
    こういう人たち的な方向へどんどん走ってしまう私です。
    昔から、気づいたら理想主義(←天よりも高かったりする)なおかつ非生産的でしかいられない自分ってのがいるんですよね。
    で、開き直ってそういう自分で居続けてみせよう、と思う一方で
    そういう自分でごめんなさいという感覚もすごくあったりします(^^;
    ただ、私が惹かれるタイプの理想論の多くは
    「それは非生産的な立場だから云えることだろう」ということは
    きちんと認識しておきたいとは最近強く思うんですね。

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  2. SECRET: 0
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    いえいえ、省みる事が出来るだけでいい事かと思いますよ。
    わたしだって自戒の意味を込めて書いたエントリですし(´・ω・`)
    先々の事を考えれば究極の理想論として決して間違ってはいないんですが、
    何故一番痛い思いをして、急を要する助けが必要な当事者を、結果より痛めつけたり
    排除したりという流れになっているのかという事なんですね。
    真っ当に昔から自然エネルギーや脱原発を謳っている方々はもっと建設的かと。
    ともかくも差したる知識もなく、理想の旗を右ならえが如くかかげだしている文化人方には
    ほとほとがっくりしてしまっています。
    私自身「文系だから・・」と無知を棚に上げてきた半生でしたのでw
    様々な科学的見解とか触れるにつけ改めて狭い視点を拡げてもらっている感がしてます。
    普通に詩や物語の世界にうっとりしていては深められない世界を、良くも悪くも
    体験している時かなと。
    耽美を進化させたり妄想ウフフだったりw薔子さんらしさを驀進していけばいいと思いますよ。
    わたしもそういうのを歌を通して味わいたい一人ですし(´ω`)
    こちらにはリンクさせてないですが、こちらのエッセイおすすめです。
    後半の描写に「やられた!」と思いました。見つけた時なんとなく薔子さんの歌を思い出しました。
    精神の構築性とか。
    http://d.hatena.ne.jp/ando_ryoko/20110507#1304738563

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