2011年7月24日日曜日

ネガポジへの素朴な疑問

中庸を地で行く私だけど、もちろんその時の状況によって気分に上下はあったりするけれど


落ち着かない先行き不透明な最近の情勢で、人も両極端に走りがちな傾向にある。


個人的にはネガティブもポジティブも詰まるところ同じな気がする。


「自分目線でそうであってほしい世界を現実に望んでいる」という点では。


前者はダークな空の、後者は明るい太陽の、その下には同じお花畑が繋がって拡がっているのである。


その花畑の美しさを語るというのは、机上論のもろさや生産性のなさの言い訳にはなるけれど、


本当の意味での思慮深さや精神性を高める足枷にもなるのではないか。


と、ツイッターでときどき見かける日本終末論とか自然エネルギーとか安全と平和を求めてとか


目にする度考えたりする。





生きている上で何らかが「欠けたり」「飢えたり」という経験があれば


ネガポジもへったくれもない境地になったりするのだけど。

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