2011年7月19日火曜日

時には苛まれたり

お金とか食べ物とかもそうかもだけども

本当の意味で恵まれている、という事は

疑問もなく自分なりの正論を貫いて生きていけるという事だなあと、

嫌味じゃなく思う。←僻みは爪の先くらいあるw



我がままというのではなく(結果的にははそうなのだろうけど)話をしていて

え、そこで自身に対して葛藤はないのか?と思った時

「ああ、この人は今までそういう葛藤を必要としなかったからたぶん発想すらないのだろうな」

と悟ったことがある。

そうなると同じ土俵の上では腹を割って話せない。深みまでいけない。



絵や文学や音楽に対する、というよりは生きている上での物事に対する感度が

とてつもなく鈍い人と会話する時、そういう意味で途方に暮れつつ

何だかすごく気楽に見えて(実際その人なりにも悩みがあるのだろうけど)そう思える自分が

僻みったらしく感じてややブルーになったりする。で、自分が細かく考えすぎるのか?とも。

暮らしにゆとりがない反動で内に向かうベクトルは、実は生産性がないことの表れだしなーとも。

ええ、結構クヨクヨしますw




人と接する時、自分の中の見たくない暗い部分が露わになることが時にある。

逃げる気はないからダメージもそこそこあるし、でもどこかで人生の方向転換をしないと

最終的には枯渇してしまう気もする。

心も体もいつしかこわくなってくる(東北方言の「しんどい」の意)

生きる事がこわくなる前に、この感情を乗り越えられればと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿