2006年04月14日23:55
とことん自分と向き合うのって、常に自己と一対一という訳ではなく
例えば人生の節目毎に起こる出来事、強烈な失恋、死別や離婚などなど
��マイナス要素ばかりとは限らないのだけどパンチはきつい程効くだろうし)
その時打ちのめされてあらわになる本性を自覚したり
ショックを受けたり、それだけでも充分己と向き合う行為であると思うんです。
その現実を逃げずに受け止めれば、
一時期再起不能になろうがひきこもろうが
素晴らしい糧になると思うんです。
自己探求としては、こちらの方がずっと気持ち的に健全(?)な
気がしますが。
なんでこんな話を書くかというと、何気に思い出した事がありまして
ある人から色々な相談をされたんですが
で、不肖ながらもあれこれと私なりにアドバイスもしたり
したんですが
その人はどうも、そのアドバイスをどう生かすかというより
「いいアドバイスを聞けて満足♪」て聞いただけで
解決した気分になってしまうらしく(笑)
真剣に考える側が、どっとツカレルのでした。
こんな調子なので毎回同じ悩みをウダウダと聞くはめになる訳なのです。
精神的に苛酷な状況か、もしくは葛藤する必要がないほど
満たされ過ぎてるか。
突き詰めれば、深みに行けても視野は狭く、
突き放せば見えない影も俯瞰で見える。
バランスなのです。
そもそも非生産的な作業なのだし、
根詰め過ぎるとまいっちゃいますよと言う話。
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