2010年9月23日木曜日

こなれすぎた言葉の始末

2009年05月13日11:46


たびたび使う決め台詞的な言葉は、着古した服に似ている。

自分のこれまでを凝縮されたかたちでもある象徴。

着ては洗いを繰り返した愛着ある言葉。

擦り切れていても着るひともいるし

見る人によっては鎧にも見えたりそれぞれだけど


気がつけば纏っている言葉は何だろう。

着すぎて擦り切れてることに気づけてるか。

何故そこまで着るのだろうか。

愛着だろうか。

依存だろうか。




変わらずにいたい、なんて普通に世にまみれて生きてるうちはむりむり。
着古した数=芯だという付加価値をつけて自分の更新を怠りたくない。
少なくとも自分の箪笥だけはそうしたい。
「芯」って具体的に見えるうちはあざといし。
遅くも気づいた。でも気づいてよかった。

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