2010年9月22日水曜日

時たまの叙景歌

2006年07月30日22:57



なんとなく思うのは



叙景歌をつくる時、その時見た山やせせらぎ
草の匂い、風のそよぎに言わば「手を貸してもらって」
歌になるような気がする。



私が楽器だとしたら、
自らの想いとなけなしの技術で歌を歌うが、
この場合は、外から感じた五感が内を通って指となり
風なら風の、山なら山の響きを奏でてくれるのだ。



抗わず、委ねて見えてくるもの。



こうした気付きは自然の中だけでなく
普段の雑多なくらしの中でもある。
もちろん恋のさなかでも。



それをわかりやすい形でドーンと提示してくれるのが
大いなる自然なのだろうか。



山の頂から望む、広大さ深遠さ、引っくるめたすべては
切なさにも似た感情だ。
それすらも抱ける気にさせてくれるのも
私もまた自然の一部だからなのか。



時たま書く叙景歌は、だから楽しく意義深い。

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