社会的状況とかその他何らかの軋轢などに、押さえ込まれた経験があればこそ
芯とか姿勢とか己とか個性を、自分の中ではっきりと確立できるのじゃないかなあ。
親に食べさせてもらっているひとが「それが自分のやり方で人生だから」とか言ってもねえ。
それは子供の自主性とは別の問題。
世代的に子育てとか子離れとかで悩む人が周囲にいたりするのでそんなことを考えてしまった。
知人男性のとこに下宿している姪御さんがホームシックというか大学の勉強がハードなのと
環境の変化についていけなくて実家のお母様に泣きながら電話するのだそうだ。
「出来るだけ会話をしてあげて下さい」と彼にとってのお姉さんからのお達しという事で
なんだか大変らしい。けど根本的に何かがずれているような気もしなくはない。
学校などの関係でどうしても親の庇護下になるだろうけれども、それにしても精神的な成熟が
遅い傾向があるんじゃないかと、これまた別の知人(専門学校講師)から伺った。
それが原因で退学とかも多々あるらしい。つまり上記の姪御さんのような理由で。
そして「はいはい」と辞めさせる親も不思議だなあという話になった。
混沌とした社会情勢、猛スピードで日々変化し目まぐるしく錯綜する情報、その中から子にとって有益なもの
守れるものを探さなければならない労力と、それ以上に自分自身が同じ年頃に経験した事が
今のわが子にとっては役に立たない部分が多いという事。
結果脆弱にならざるを得ないほど大事にしすぎてしまうのも判らないでもないけれども。
生きる力を備えさせるような育て方、というのは難しいのだろうか。
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