考える事が昔から好きだ。
様々な事、これからの事、答えが一つじゃない事は特に。
しかし答えがすぐ行きつく事に関しては反射的に「決める」
女一人これから生きていく分にはどうにかなってきかたらこれからも「どうにかする」
明日なんてわからないから今日踏む足元だけを影も込みで「見つめる」
二元論は「あてにならない」答えを持っていると言わんばかりの人は「信用はしない」
割とそういう落差があるのできっと人によっては付き合いづらい部類に入るだろう。
とかく考える事がぐっと増えた今日この頃。
取捨選択、わたしの暮らしのリズムをとるが如く、あれはあれ、これはこれと思考を仕分けする頻度が
多くなってきたけれど生きていればこういうこともあるさと普段通りにやっていきたい。
煩雑になるほど考える手間が増えて、しかしそれは確実にわたしの思考を磨いてくれるものだ。
ことばと暮らしを密に重ね合わせた先に見えてくるものは何だろう。
何故家で作るカレーライスはついついおかわりをしてしまうのだろう。
時々他人に考えさせて、自分ではものを考えようとしない人がいるけれど何故考えようとしないのだろう。
わたしは考え続ける。
あのひとはどうしているだろう。
全国歌会の休憩時間通りすがりで向こうから挨拶してくださって嬉しかった
透明な野草のゆらぎのような歌を書く人。
心には掛けていることを伝えてもたぶんわたしの言葉は上滑りする気がするし
日々を揺らがさぬように暮らしている様を想像することしか出来ないのだけれども。
でも
わたしは考え続けることをやめない。
気に掛けることが、天上から垂らされた糸のような儚さであっても救いの一筋になるなら。
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