ふと、思い起こして13年前のある事をネットで探して
久々に見る名前をじっくり見ていた。
知っている方は知っていると思うが、所謂かなりの事件がその頃あった。
その当事者は同級生だった。
どこまでも優等生に育てられた当人は、学生の頃からその傾向はあったけれども
世の中に迎合出来ずとも当人の信じる正しき事はどこまでも貫く質だった。
結果としては自分の「生きている」「役立っている」価値を
他者の心と寄り添い救うところに見出したが、的外れの理想の都合良さに気が付けず
ようやく気づいたのは、救おうとしていた他者を救えなかった時だったと思う。
彼は絶望した。きっと主に自分自身に。
そうして自身の生を放棄した。
救えなかった事例を思えば同情の余地はないけれど
もう少し、もう少しだけの「妥協」と「融通」を社会に出てから
学ぶことは出来なかったのか。
そして今更ではあるけれど
学生の頃、彼の気持ちを素直に受け入れていれば
歯車は違う方向へ回れたのだろうかと
救える命もあったのではないかと
すべてを救う、という的外れの善意ほど純粋で傲慢で悲しいものはない。
私の繰言だって彼のそれと大して変わらない。
きっと同じことだ。
すべてを救う事は出来ない。
その真理の重さが、今の私の足をしっかりと地につけさせている。
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