2011年10月16日日曜日

「舞踏に言葉が響くとき〜にんぎょひめ」ゆる感想

前評判を聞いていて、再演の際は見に行きたいなあと思っていたのが

今回実現しましたよ(・∀・)今日はその感想です。

ヨミガタリスト氏と舞踊家の竹内実花さんのコラボレーション「にんぎょひめ」

アンデルセンの童話ですがそれの読み語りと舞踊が醸し出す空間の妙を味わえた一時でした。

ヨミガタリストさんのブログでの紹介記事
http://footmats.kitaguni.tv/e1839888.html

主催告知ページ
http://homepage2.nifty.com/opere/2011mikamats.html



普段演劇鑑賞系は、以前のブログ記事にも書いたように

観客席と舞台への意識が行ったり来たりしてしまう分疲れてしまいがちなんですが

今回はそれがなかったです(歌会&仕事後の疲れは別として)。

演出効果のうっすらとドライアイス(でいいのだろうか?ホール内がライトの下煙っている感じがしたので)が

舞台と観客席の境界をぼやかしてくれたお蔭かもしれません。

開演、ホールを闇が包んだ瞬間、ライトに照らされ浮かび上がるヨミガタリスト松本さんの姿。

物語が進むうち次第にそこは海の底へと変わっていき(照明が終始素晴らしかったですねえ)

その後ろから、うごめく海藻のように演者の真っ白い手が、物語終章の暗示のように浮かび上がります。


ゆらりと現れた人魚姫。


人魚は「魂」を持たないという設定からか、その存在からは血の通ったものは感じさせず

異世界なるものの具現化されたイメージとしてそこに在ったような気がします。

そしてそれは、王子様への恋心と共にだんだんと「人」として逸脱してゆくのですが。

個人的には人魚姫が「人」となった痛みや葛藤、そして恋破れて失ったものへの慟哭や苦悩する場面から

ぐぐっと引き込まれていきました。ここから王子への想いに抗えず海へと飛び込むまで

正に竹内さんの技量の見せ所と感じました。もちろん読み語りの底上げもあってこそ。



アンデルセンの原作は詳しくは読んでいなかったのですが、最後目を覚ました王子が結婚した王女と共に

人魚姫を案じて探すという場面があるのを知って、そこになんとも救われた感がありました。

あのままで終わったらそれこそ善意に満ちた人でなしですからねえ・・・・w


望んでいるものを得たい、愛されたいというのは現実に生きていれば誰しもが望んでいる事でもありますよね。

苦難を経て悲しみも昇華出来た時、そこで人間としての証、「涙」とともに

「気づき」としては痛く辛くはかない失恋という形ではあったけれど

一個の魂として人魚姫は生まれ変われた、自分的にはとても希望に満ちたラストでした。

大仰な感動ではなく、結果誰もが許され救われたことに対しての安堵感が大きいかな?


【ちょこっと思ったりしたこと】

素人考えでしょうが、あのホール規模はなんだかもったいない気がしました。

「もう少し大きめのハコで(そんな大きくなくてもいい)」

「もう少し広報宣伝にお金と手間と根回しをかけ(多分ポスターやちらしなどのデザインや

見せ方ひとつでまったく集客効果変わると思います。ちょろっと広告系に足を踏み入れていた者として

そこはもったいない(二度目)かなと)」

「親切な協賛スポンサー様にひとつでもいいので協力してもらう(頑張って探す)」

やまびこ座のアットホームな雰囲気も、今日初めて伺いましたがいいなと思いましたけれども(´ω`)

サロン的感覚で共有するに留めるにはもったいないほど(三度目w)

舞台のクォリティは高いと感じました。

で、「にんぎょひめ」だけではなくそれをとっかかりにした様々なものをこのお二人でもっと見てみたいです。

まだ明日の14時の部を残してますが、今から再びの再演を望んでも気が早いとは思ってない人、多いはずですよ。


そして床材と靴の相性の問題でしょうが、音楽がない分ヨミガタリスト氏の靴音が

妙に気になってしまいました(´・ω・`)重箱の隅みたいでかたじけない。

でももう少し広いとこだと気にならない範囲な気もするのですよぉ。

それくらい舞台鑑賞に没頭できたという事なので再考プリーズ


まずは関係者各位様今日はお疲れ様でした。とても楽しませていただいた舞台でした(・∀・)

明日の千秋楽、身体に気を付け頑張ってくださいませ。

つたない感想ですがこれにて。

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